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第一話 とつぜんの

 今後変わったことが起きるのなら、平々凡々の女子高生たる自分ではなく青い目青い髪を持って生まれた睦実の方だろうと清香は何となく考えていた。
「『女子高生異世界転移系物語』のお誘いに参りました。――王の龍の娘、セイカ王女。再びお会いできて光栄です」
 しかし眼下には空色の瞳で真っすぐ見上げてくる不敵な笑みの銀髪男性。
 王の龍だ王女だちょっとテンション上がるようなこと言ってくれているのは良いのだが微妙に名前が違う。清香の読みは「さやか」だ。クラス替えの度に訂正入れて毎年うんざりしていたやつだ。
(いや、今そんなことはどうでもよくて)
 清香は大きく息を吐いてもう一度吸うと、さっとスマホを取り出した。
「通報しまーす」
「おやこれはまた防犯意識の高いお嬢さんで僕は嬉しい」
「シャラップ不審者」
 そうだ、不審者だ。この人はきっと不審者だ。何かいきなり訳の分からないことを言われたってこっちだって良く分らないのだ。
 清香は110番を押そうとして、そのまま硬直した。
 というより正しくはスマホが硬直していた。文字通りフリーズしている。
「なっにこれ冷たっ?!」
 それも出所不明の氷によってだ。思わず取り落としたスマホを、先ほどレイと名乗った男性が上手にキャッチした。
 そのまま彼は立ち上がりにっこり笑う。睦実もさすがに清香を庇うよう間に立った。
「主君にそこまで警戒されると悲しいですね」
 レイは苦笑しながら睦実にスマホを差し出した。
「故障はしていませんので、ご安心ください。まあ、今頃こういうのは流行らないんですかねえ、受け入れにくいですか。セイカ様や陸奥宰相がこちらに転生した当初はこの世界で随分流行っていたようで僕も暇つぶしに読んではいたのですが、もうこの世界では二十年近く前になるのでしょうか。女子高生異世界転移系って個人サイト隆盛期ですもんね……」
 何かぶつぶつ言っている例をよそに清香は睦実からスマホを受け取る。もう冷たくもなく、先ほどの氷もどこかに消え失せたようだ。
 状況の飲み込めない清香をよそに、ルウスと言われていた男性が小さくつぶやく。
「……レイ」
「はいはい」
 穏やかながらも咎めるような口調で言外に「真面目にやれ」が含まれているように聞こえた。そして何故かその声にはどこかで聞き覚えがあるような、古い知り合いであるような気がして、清香は起動していた電話アプリを消し去った。
 訳の分からない状況のではあったが、抵抗してもさっきの、よく分らない力で凍らされてしまうのだろうということだけは理解した。
「ごめんなさいルウス。さああなたもこちらへいらっしゃい、セイカ様にあれほどお会いしたかったのでしょう」
 レイは穏やかな口調で腰を落ち着ける。話を進めていく気らしい。ルウスと呼ばれた男もレイの隣に座ったので対する形で睦実と清香も座ることにした。
(いやいやいや)
 何だこの状況。何の見合いだ。そう心の中で突っ込まざるを得ないのは、先ほどからあまりに理解しがたい出来事ばかりが起きているからである。王の龍、滅びかけた国、おとぎ話、魔法使いのような二人。
「ううん何だこれ夢見てるのかな」
 つい清香の口から零れ出た言葉をレイが救う。
「いえいえ。僕たちは現実です。今日はお願いに来たんですよ」
「お願い?」
「はい」
 レイはまた胡散臭い笑みを浮かべて、その白い手の平を上に手を掲げる。そこにはどこか見知らぬ街らしい景色が立体映像のように浮かび上がり始めた。
「空国《くうこく》です。僕たちの生まれ育った国。僕とルウス、そしてセイカ様、陸奥様。お二人の前世もここに住まい、治めていらっしゃいました」
「ふうん、そうなんだ」
 睦実はあっさり頷いた。レイが感心したような表情を見せる。
「睦実さんはさすが柔軟、前世で宰相だっただけのことはありますね」
「でしょ。ていうか宰相の持つ言葉の響きやばいなあ。何か首相よりカッコよくない? ねえ清香」
「いや待って受け入れ早くない?」
 あっさり受け答えしあまつさえ清香に話題を振ってくる睦実の袖を引いて清香は問いかける。

 しかし振り返った黒い瞳は案外冷静で、何故そんなことを聞くのかと言わんばかりだった。
「だって目の前で起きてる現象いちいち否定しても仕方ないじゃん。一、いきなり人間が現れた。二、その人間たちは現代っぽくない恰好をしている。三、魔法を使った。もうここまで来たら諦めて受け入れた方が早いよ。別にさっきから危害加えられたりしてないし、流行ってるしそういうの」
 流行ってるしそういうので納得した幼馴染に言いたいところはあれどしかし、流行っているかはともかくとしてそれ以外はドのつく正論で清香は何も言えなかった。睦実はこういうところあるよなと少し不満に思いつつも、ただあれこれ聞いたところで話も進まないだろう。
(だめだだめだ、否定ばっかり、良くない良くない)
 清香は大きく息をつく。ようやく受け入れる準備ができたところで、清香はレイの映す情景に目を遣った。
「……え?」
 そして戸惑ったような返事をした。二人の外見から「僕たちの国」というのが西洋風の街並みであろうと想像していた。
 だからいわゆる欧風ファンタジーのような街並みを見せられるだろうと考えていたので、レイに見せられた欧風の家々と、点在するアジア風の家々を融和させたような多国籍の光景には少々驚いたが、清香が戸惑ったのはそこではなかった。
 本来なら心躍るであろう石畳も可愛らしい赤い屋根の家々も、無事なものは一つもなかった。空はどんよりと曇って全てが鈍色に見える。メインストリートの奥には、民家とは異なる公共施設らしい大きめの建造物があったが、こちらも形こそ無事であるものの暗い雰囲気を纏っているようだ。
 家も道も人も、あるいは破壊されあるいは土埃にまみれ、その場にしゃがみこんでいる。
 子供は泣き、大人は嘆く様子に、清香は目が離せなかった。
「驚きました?」
 一体これは、どれほどひどい国の情景だというのだろう。

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