トーキョウ人になるきみへ
夕方のオレンジの中、美樹と夏音(なつね)はわあわあと声を上げながら、河川敷に向かって土手を駈け降りた。
ひらひらと、セーラー服のスカートが翻る。
「河川敷、夏ぶりやなァ」
「花火大会ぶりやァ。あー野球部きよるわァ」
二人が卒業を控えた高校の、野球部の後輩軍団。夏音が彼らに大きく手を振るので、美樹はきょとんとした顔で問うた。
「何ィ。知っとう子おるん?」
「ううん、全然しらん」
「何それェ」
去っていく丸坊主軍団を見送りながら、二人はおかしくもないのに大声で笑った。
受けるべき試験を終えるだけ終えたから、ハイテンションになっているのだとは二人ともわかっていた。
笑い終えた夏音がしゃがみこんで、美樹の端正な顔を見上げる。
「この間テレビでなァ」
「うん」
「東京の人がなァ、大阪人に聞いとってン。『自分ら関西弁ばっか喋ってて疲れへんの』って」
「えー何それェ!」
また哄笑。東京の人間を関西弁で描写する不思議さに触れないのは、そんなやりとりを今するのが野暮だと知っているからだった。
夏音はやがて苦笑にも似た顔に転じると、今度は美樹から視線を外してきらきら光る川の方を見た。
野球部の小気味いい掛け声が遠くから聞こえる。
足元の草をぷちんとちぎって呟いた。
「美樹東京行くやんかァ」
「せやなァ」
「関西弁忘れて帰って来ェへんか心配やわァ」
「さすがに、忘れへんわ」
「ほんまかなァ、分からんでェ。東京でイケメン捕まえてる内に『自分、東京弁喋ったらどうだい?』とか言われてなァ……」
「ないないィ」
困ったように笑う美樹に「んふふ」と笑いながら、夏音はそれでもと続ける。
今日くらいは夏音の追求を聞いてやろうと美樹は続きを促した。
「でもな。もしな。美樹がな、たまにこっちに帰ってきたときに東京弁ちょっとでも喋っとったら、私もう友達やめてまいそやわァ」
「ひどなーい?」
「嫌やもん。そんでな、友達やめたるからな、やからな……」
さみしいのだ、二人とも。そんなことはわかりきっていたがお互いに口に出すのは気恥ずかしかった。
忘れたくないし忘れてほしくないけれど、新しい環境になればそのままでいられないことはまだ幼い十八才にもよく分かる。
口ごもってしまった夏音を放って、美樹は土手を駈け上がり、にっこり笑って夏音を見下ろす。しゃがんでいるうちに置いていかれた夏音は慌てて立ち上がると、美樹を振り仰いで大きく息を吸い込んだ。
「なー! ほんまに東京行くんー?」
しんとした夕暮れによく響く声。
負けないくらいの大きさで美樹も返す。
「行くでェー!」
「何でェー?」
「行きたいからァー!」
「東京人にならんといてなァー!」
「ならへェーん!」
美樹と顔を見合わせて笑うと、夏音は追いかけるように土手を駈け上がった。気恥ずかしいような清々しいような気持ちで、どちらからともなく帰り道を歩き始める。
「よぅけ叫んで喉渇いたわァ」
大人ぶって夏音が言う。照れ隠しに美樹が続く。
「私もやわァ。なあな、夏音、いっぱい遊びに来てえや」
「ええ? ……しゃあないなァ。行ったろ」
「絶対やで」
「しゃあなしやでェ」
素直じゃない夏音の表情を見て美樹は笑う。
沈み行く夕陽は、二人の影を長く伸ばしていった。