夕方の親指姫
夕方になると、母の形見のネックレスから小さな王女様が飛び出してくる。金で縁取られたシトリンのネックレスで、出てくるのは小さいながらに美しい金髪と白い肌、豪奢なオレンジ色のドレスをまとったお姫様。童話の「親指姫」そのままのサイズだったのでそう呼ぼうとしたら王女様自ら「メアリーよ」と名乗ってくれた。
「私、本物の王女だったのよ」
ある日の夕方、窓辺で遅い紅茶を楽しみながらメアリーと話していると、彼女はそういたずらっぽく笑って教えてくれた。何でも大昔、日本から遠く離れた国でそれは贅沢な暮らしをしていたのだとか。
安物のクッキーを分けていたのは申し訳ないなと思いながら聞いてみる。
「じゃあ、どうして王女様がお母さんのネックレスに?」
そう高いものでもないのに。メアリーは笑う。
「宝石が美しいからよ。美しいものは好きよ」
「ふうん。ね、何で夕方にだけ出てくるの」
「さあ。夕方に殺されたからじゃないかしら」
あっけらかんとそんなことを言う彼女はこちらが返事に窮しているのを見てくすくす笑い、「神様に、今度は普通の女の子にしてくださいって頼んだのよ」と続けた。
「普通の?」
「普通の。だって王女の生活は目一杯楽しんだんだもの。次は普通の少女の生活を楽しみたいと思ったの」
「そう。……それなのに、親指姫にされちゃったのは、残念だったね」
私が同情して見せると、メアリーは本当に理解できないという顔で「どうして?」と聞いた。
「どうして? 夕方の親指姫になったらなったで、今度はそれを目一杯楽しむだけだわ。悲しんでたってもったいないもの」
このクッキーもとても美味しいわ、その言葉を残して彼女が笑った瞬間、ちょうど日没を迎えたようでまたシトリンのネックレスに溶けて消えてしまった。ティーカップとクッキーの小皿を流しに持っていきながら、「 悲しんでたってもったいないもの」と呟いてみる。
彼女の言葉は日々を必死に働く自分にどうしてか突き刺さったような気がした。
その日の歴史特番で、わがままゆえに毒殺された王女の特集がやっていた。番組の意向としては、海外では有名だが日本ではあまり知られていない美貌の超わがまま王女「メアリー」の生き方を面白おかしく紹介したかったのだろう。
食事、衣装、装飾品、宝石。王宮で手に入るおおよそのものは手に入れて、しかしよそに嫁いで妃になることはかたくなに拒否し、一生を「王女」として奔放に生きたというメアリー。番組では当時の時勢として「王女が嫁がない」ことがどれ程の醜聞であるのかこき下ろしていた。
――夕方の親指姫になったらなったで、今度もそれを目一杯楽しむだけだわ。
「本当に目一杯だなあ」
シトリンのネックレスを握りしめながらつい笑う。
最後まで彼女の両親はかばっていたらしいが後ろ楯を失した後は幽閉され、表向きは「病死」としてひっそりと毒殺されたらしい。
「……永遠の少女を貫いたのかな」
何だか、拍手でも送りたい気分だった。