長雨
秋の長雨である。主を喪った祖父の家で、浩太は本を読んでいる。
祖父の部屋。板張りの書斎の一面は大きな本棚で埋まり未だ誰も処分に手を付けていない。本棚の中はほとんどが祖父の趣味だ。考古学から絵本まで様々な本で埋め尽くされていて他の者は興味がないのか誰も来ないから、この書斎は浩太にとって良い隠れ家であった。
祖父の亡くなったのは三年ほど前である。厳格だが名医でもあり弟子も多く、家の中は必ず誰かが手入れをし、生前の様子とほとんど変わらない。
どこからか彼のよく吸っていたたばこのにおいさえするようであった。
「外で遊ばないのか」
「雨だよ」
浩太は聞こえてきたような気のする祖父の声に返事をする。よく聞いた言葉だから、幻聴になって現れたのだろう。
外はまだ雨で夕方のはずだが夜のように暗い。部屋は浩太の趣味でかけているジャズのような音楽がスマートフォンから響き、雨の音と混じり合っていた。
幼い頃から浩太は祖父の本を勝手に借りては読んでいて、結局それが大学を卒業するまで続いた。
祖父は浩太の勝手な行動にいい顔はしなかったが強いて咎めもしなかった。また浩太の生まれたころには惜しまれながらも医師を辞めていたらしい。ただ家族を大事にしたいという風でもなく、祖父の個室も兼ねている書斎へ度々闖入する孫を放って、いつも何か書き物をしているようであった。
しかしそれは、無関心とは違っていたように浩太は考えている。
部屋の中は変わらず名も知らぬジャズらしい音楽が響いて、外からは雨の音が聞こえている。
何度も繰り返し読んだ本から何となく顔を上げた浩太の前に蜘蛛が一匹、するすると天井から降りてきた。
「……たまには虫干ししろよ」
「一緒に干してやろうか」
「生意気だな」
苦笑のような言葉を最後に蜘蛛は姿を消してしまった。会話から何から、幻覚であったのかもしれない。
蜘蛛が喋ったなど、医者や学者ばかりの家庭で呟けば嘲笑される。
(……)
それでも浩太はあの蜘蛛がぶっきらぼうで厳格な祖父の、兄に似ず不出来で家庭に居場所のなかった浩太の唯一の逃げ場たり得た祖父の、魂であると信じて疑わなかった。
浩太は本を閉じもう一度本棚に戻すと、帰り支度を始めた。
窓の外の雨はまだ降り続くようである。晴れるまではまだまだ、ここで本が読めそうだ。