2020twitterまとめ①
『マーガレット』
中年の浮浪者が道を歩く。人々は迷惑そうな顔をして彼を避け、彼は意に介さぬように目的地へ向かう。
元は生成り色であったらしい作業着は油だか埃だか分からない汚れにまみれている。
その中でひときわ目を引くのは、手に携えられたマーガレットである。まだ瑞々しく切り取られたばかりらしい白の花弁は、汚れ切った彼の黒い肌と対象的であった。
「あ」
ふと目が合う。淀んだ表情のまま彼は真っすぐこちらに歩いてくる。不思議なことに覚悟していたような異臭はせず、さらに不思議なことには意志の強い目から逸らすことができなかった。
ここに居たのか。彼の言葉を不思議に思う。面識などはなかったはずだ。ぽかんと見上げる私に彼はさらに言い募る。
これを返そう。俺には過ぎた慰めだった。ぎこちなく笑う彼の差し出すマーガレットをほとんど反射的に私は受け取った。理解できぬまま顔を上げると、彼は煙のように消えていた。
花の瑞々しい香りだけが残っている。
ようやく彼が、幼い頃の思い付きで花壇の花をやった浮浪者であることを思い出した。
受け取ったマーガレットは皺くちゃに萎れていた。
『水底』
明けない梅雨はやがてこの国を水上国家に変えた。数々の文化遺産は水底に沈み、人々は繋ぎ合わせた船の上で暮らした。やがて文化や国柄は変わり、かつて存在した地上の国のことなど忘れられてしまった。
ある時一人の若者が海の底に興味を持った。船に一つのボトルが、見馴れぬ文字で書かれた手紙入りのボトルが流れ着いたからだ。人々は作り物だろうと笑ったが若者は海の底へ潜り込んだ。そして見つけた。そこにあったのは朽ちた遺跡などではない。一つの海底国家であった。「いらっしゃい」 美しい女性が笑う。ずっとここで国を守り続けていたらしい。
名を聞いた。彼女は笑って「乙姫」と名乗った。
『蝉の声』
蝉の声の中友人の背を追いかける。
「どこ行くんだよ」
「……」
「聞こえねえって」
声が掻き消されるほどの音量の中、友は振り返りもせず一心不乱に見知らぬ林を進んでいく。いったいどこへ行くというのだ。
「待てって」
「……」
「どこ行くんだよ」
「……!」
「聞こえねえよ」
「……!」
「ああもう! 待てっつってんだろ!」
大声に友人はようやく歩みを止めて振り向いた。そのはずだった。
「誰だお前」
目の前にいたのは見知らぬ人間。こんな友人居たろうか。いや知らないはずだ。俺はいったい何を追いかけていたのだ。
「……」
男は嬉しそうにニタニタ笑うと陽炎のように消え失せる。 気づけば蝉の声もとうに聞こえず静まり返っていた。
『枯葉』
枯れた木の葉の飛び立って、蝶となるのを確かに見た。「あ」という間もなく蝶は飛び去り、辺りはまたただの河原へと変わっていた。
果たしてここは夏だか冬だかわからない。あるいはもしや秋かもしれない。堤防沿いに生える草木は秋のものも夏のものも混じっていて、時折雪に埋もれて枯れている。
人は一人もいない。ただ己のみが歩いている。目指す先もわからない。ただ見知らぬ河原を堤防沿いに歩いている。
「あ」
歩く先に一匹の小柄な、枯葉色の蝶が落ちていた。
あれは母の亡骸なのだと気づいた途端、夢から覚めた。
『幼い絵本作家』
その絵本作家は随分幼かった。実年齢は知らないが、少なくとも成人しているというのに身長は小学生ほどしかなく、顔もそれに見合った童顔であった。
「だって君」
取材でそのことを尋ねると甘ったるい声でくすくす笑い、丸い瞳でこちらを見据えた。
「幼くなくてはならないよ」
「子供の目線を持つのだから」
どう返したものか困っていると彼女は続けた。
「恋もしてはならないよ。憧れのような恋ならよいだろうが、恋愛はしてはならないんだ。それは却って、しなくても良いということなのかもしれないけれど」
まっすぐで無垢な瞳であった。
暫くして彼女の訃報を聞いた。体の成長を止めようと怪しげな薬に手を出していたのが祟ったらしい。
そうまでして彼女の見たかった世界とはなんなのだろう。
私は彼女の無垢な瞳を思い起こしながら、新聞に書かれた無機質な享年を見つめていた。
『饒舌と沈黙(旧題:沈黙の金)』
言葉たちまち銀貨と変える詩人がいた。彼が歌えば鳥はさえずり花咲き虹が出て、人々のグラスは銀貨で満たされた。彼の詩のあまりの美しさに神が奇跡を授けるのだともっぱらの噂だった。
ある時彼は恋をした。美しい亜麻色の髪をした可憐な乙女である。恋をした詩人は百の言葉で愛を歌った。花は鳥は月は人は皆酔いしれて、空からは銀貨の雨が降り出した。しかし彼女だけはただ笑うばかりで頷かなかった。
詩人の言葉は、とうとう尽きてしまった。
「愛しています。……」
飾る言葉の尽きた彼はただ一言だけを彼女に捧げ、じっと瞳を見つめた。
「私も」
沈黙の後乙女は顔を赤らめて微笑んだ。
饒舌と沈黙の二つを知った詩人の歌は、今や人々のグラスを金貨で満たしているという。
『ハツカネズミの死んだ夢』
実家の台所に長方形の木箱が置いてある。二十センチ程度の大きさで、側面にはくりぬかれたような四角い穴があった。
「お母さん、これは何」
母は何か要領を得ない返事をして、私はそっと中を覗く。雀がいる。驚いて目を離す。もう一度覗く。今度はハツカネズミがいて、子を生んでいた。
「お母さん。ネズミがいるから、捨ててくるね」
母はまた何か要領を得ない返事をした。
外に出ると、実家の庭は苔むす前の、美しい砂利敷きであった。私は木箱をひっくり返す。先ほどまでなかったはずのおがくずに紛れて、雀の雛がぴいと出てくる。弱った様子に生死を心配していると、母鳥らしい立派な雀が迎えに来た。これなら彼女はきっと無事だろう。
そして、いつのまにか庭一面に広がったおがくずをかき分け、ネズミを探す。逃げて増えでもしては困る、母が食べられてしまうかもしれない。
「ああ。何だ、よかった」
気づけば目の前に、首を切られたハツカネズミの死体が転がっていた。
『本日のニュースです。』
「続いて各地の魔王軍動向です。北北東に進んでいた魔王のメイン部隊は◯◯県までを手中に納め、知事を配下に置いています。なおこの侵略による人的被害はありません。現場の田中さんと電話が繋がっています。田中さーん?」
『架空の生き物』
ダイサンショウサカナは悲しんだ。勝手に保護なんかするんじゃないと。
俺たちが絶滅しようが生き抜こうがそんなの自然の範疇だ。
数百年後にその辺のトカゲから突然変異して再びこの世に現れる算段もある。夢を壊すんじゃないと。
『夜空に浮かぶ星を食べてみたら琥珀糖の味がする話』
おひとついかがと君が言うので青い星をひとつちぎって口に運ぶ。
「ゼリー?」
「違うわよ」
「砂糖!」
「風情がないわ」
くすくす笑う少女と二人、三日月の船は夜空を行く。夜だけ、僕らだけの内緒の旅だ。
「皆、忘れちゃうのよ」乗り方を。
ある時悲しそうに少女は言った。僕は忘れないよと言っても悲しそうに笑うばかりだから「じゃあ、君が忘れないで」と言ってみたら、彼女は顔をあげて「ええそうね」と笑ってくれた。
あれから十年経つけれど、僕はまだ、夜になれば旅に出て琥珀糖の星を味わっている。
この分じゃ大人になっても忘れることはなさそうだ。
『透明のかぐや姫』
何か降りてきそうな月だと君は言う。「かぐや姫とか?」違うよ、もっと奇跡とか。「そうだね、ここに」
僕の言葉に笑った君の姿はやがて風に溶け、辺りには闇の広がるばかり。何とも空虚なベランダだ。
「ではまた、僕の天に昇る日まで」
『友』
そんなに辛いならこっちに来ればいいのに。友は僕の愚痴に苦笑した。
「昔より気軽に行き来できるだろう」
「気軽でもない」
ぺたん、ぺたん。
「そうかな」
「虫歯があっちゃダメなんだ」
「そりゃ厳しいね」友は再びぺたんと餅をつき、月の中で一休みする。「頑張りなよ」
長い耳がピコピコ動く。夜空に浮かぶ友の姿。いつか会いに行ける日は来るだろうか。
『沈』
まれに湖に沈む夢を見る。苦しくはない。嬉しくもない。ただ、ああ沈んでいるのかと思うばかりである。
水中から見る水面は光り輝いているが、それもただ、ああ美しいなと思うばかりで体はゆっくり沈んでいく。底のない湖らしい。
周囲の青のような緑のような色はだんだんと濃くなる。体にまとわりつく水はそろそろ重い。
けれどただ諦観のようなぼんやりしたような感覚で沈み行き、最後は泡になって目が覚める。
目が覚めたとき、いつも辺りは水をかぶったように濡れている。汗ではない。湖の夢を通り抜けたから、連れてきてしまうのだろう。
最近、この夢の頻度が高くなってきている。
『人に桜木の生えること』
喉が痛い、と思って医者にかかったらどうも木が生えてきているらしい。
「桜ですね」
「桜ですか」
「今年桜餅食べましたか」
「ええまあ」
「それですね」
「そうですか」
どうも最近増えてきた症状らしい。中には桜の花どころかさくらんぼが実るまで育てる猛者もいるという。
大丈夫なのか聞くと医者は困ったように首を振った。
「手術を勧めるのですがね。皆、桜に魅入られるんです」
案内された病棟はなるほど満開の桜で埋まっていて、これなら病気も悪くないと思ってしまった。
日本人特有の病だそうだ。
『Viola』
花を盗んだのに盗まれた方の花は随分平気な顔をしている。
「何て美しい景色なの!」
「怖くないのか」
「ちっとも!」
彼は黙る。彼女は言いつのる。
「私は幸せだわ。空から地上を眺める花があるかしら!」
大鷲は苦笑し、その足に絡んだビオラは花びらを一枚地上に落とした。