月仰ぐひまわり
そして朝が来て、また夜になりました。しろがねの月が、空にかかりはじめます。今日は三日月でございました。
ふくろうはいつもの木に停まりながらじっとひまわりを見つめておりました。
やがてひまわりは、月の空へ昇っていくのに合わせるようにして、首をもたげ始めます。しろがねの花弁がゆっくりと開き、濃い群青のやわやわとした芯が現れました。
ひまわりが起きたのです。ふくろうは意を決しました。
「やあ、ひまわり」
その声は、少し震えていたかもしれません。
「おはよう、ふくろう。今日も太陽がきれいだなあ」
いつものようにのんびりと、ひまわりは答えます。挨拶をするようにひまわりはその大輪を振りました。これが彼らの日常でありました。しかし、ふくろうがいつものように「あれは月だよ」と言わないので訝しんで、ひまわりはしろがねの頭を傾げました。
「ふくろう。調子が悪いのかい。難しい顔をしているよ」
「ひまわり。話を聞いてほしい」
ふくろうはひまわりの気遣いには答えず、難しく厳しい顔のまま言葉を続けました。
ふくろうの緊張した面持ちに、ひまわりは驚いて、細いしろがねの茎をしゃんと伸ばしました。
彼は今までひまわりを導いてきてくれた森の先輩でございましたから、難しい顔をしているときは何か大事なことを言う時であるとひまわりも知っていたのです。
「よく聞いてくれ。お前の見ていたものは月なのだ」
「ははは。何だ、ああ驚いた。その話か。……そんなわけあるまい。おれはひまわり、太陽を仰ぎ、太陽に伸び、太陽と共に生きる花さ」
ひまわりはいつものように答えましたが、ふくろうは黙ったままでした。これはとうとうおかしいと思い、ひまわりは焦りました。
同時に心のどこかから「ああ、この時が来てしまった」という声が聞こえてくるようでございました。
ふくろうは首を振り、ほうと息をつきます。
「お前は本当なら、昼に生きるべきなのだ。それがどうした因果か、昼と夜とが逆さまになり、俺たちのような夜の生き物と友になった。しかしそれは、昼に生きるお前の本当の幸せではないのだよ。お前は昼に生きるべきなのだ」
ひまわりは、ふくろうが本当に心配して言ってくれているのだと分りました。しかし、それは急に受け入れられるものでもありませんでした。
ですから、苦笑するようにさわさわと、花弁を風に遊ばせて答えました。
「せっかくだけれど、おれはこのままで幸せなのだよ。友が居て、空があり、太陽がある」
「ひまわり、よく聞け。あれは月だ。本当はお前の仰ぐべきものでないのだ」
言い募るふくろうの言葉に、ひまわりは何故だか悲しくなってきてしまいました。
答えられないでいると、いつの間にか傍にやってきたこうもりがそっと、ひまわりの葉につる下がります。
「なあひまわり。おれはお前に会えなくなるのは悲しいよ。でもおれは、おれは……」
ひまわりは、こうもりの言わなかった言葉が分かったような気がいたしました。
悲しい別れになるけれど、それがひまわりのためなのだと言いたいのだと分かったのです。
しかし、分かったけれどもひまわりはとてもとても悲しくて、ふくろうの言葉もこうもりの言葉も受け入れぬまま食い下がりました。
「いいや、あれは太陽なのだ。だっておれはひまわりだ。太陽以外を仰いで、生きてなどいられるはずもない」
「ひまわり、お前のためなのだ。どうか聞き分けておくれ」
ふくろうは必死になって、ほうほうと鳴きました。
「……」
ひまわりは、ふうと息を吐くように、頭を垂れてしまいました。
人間の子供がいやいやをするように、垂らした頭をゆらゆら揺らして、やがて小さくつぶやきます。
「おやすみ、森の仲間たち。僕は君たちと喧嘩をしたくはないんだよ」
ふくろうはほうほうと話しかけ、こうもりはばたばたとひまわりの周りを飛び回りますが、彼が頭を上げることはありません。
「ひまわり、聞き分けてくれ」
「おい、ひまわり」
ひまわりは答えませんでした。やがて二つの悲しそうなため息が聞こえてまいりましたが、決して頭は上げませんでした。
そうして頭を垂れたまま、ひまわりは心の中でつぶやいておりました。
(皆、すまない。本当は皆の言うのが本当なのだと知っているのだ)
ひまわりはとうに、空に掲げられているのが月であることも、自らが常のひまわりとは違うことも知っていたのです。
しかしそれでも、ふくろうが今までやさしく導いてくれたこと、こうもりが楽しく遊んでくれていたことが何よりうれしかったので、そ知らぬふりをして、月仰ぐひまわりとして生きてきたのでありました。
常のひまわりと違う生き方でも、十二分に幸せだったのです。ですから、皆が自分のことを案じてくれているのが嬉しくても、今の幸せを変えようとする言葉は受け入れられなかったのでした。
「寝てしまった」
「ああ、受け入れてもらえなかった。仕方あるまい。明日もう一度話をしよう」
「そうだ。分かってもらうまで、何度でも」
ひまわりは、頭を垂れながらもこうもりとふくろうとの会話を聞いておりました。
そうしてこうもりもふくろうも、本当にひまわりのことを大切に思うからこそ言うのだと気づきました。
その心持ちは大変嬉しかったので、ひまわりはもう一度、明日の夜までにはよく考えようと思ったまま、ついうとうとと、本当の眠りに落ちてしまいました。
朝に眠るはずの彼が、夜に眠ってしまうのは初めてのことでございました。