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月仰ぐひまわり

 

「おはよう、雀。今日も太陽がきれいだね」
「ええ、そうね。美しいでしょう」
「ああ。美しい。そうだ雀、君は月の美しさを知っているか。僕はあれこそが太陽だと思っていたんだけどね。夜に生きていたころ、よくこうもりと話していたんだ――」
 ひまわりは、太陽の美しさを教えてくれた雀に感謝したく、月のお話をしました。その白く幽玄なこと、闇夜に掛る星々との輝きのこと。友であるこうもりのこと、ふくろうのこと。彼らの話の何とも楽しかったこと。
 雀は初め興味深そうに聞いておりましたが、やがて困ったようにため息を吐きました。

「ひまわり。あなたはいつも夜の友人のお話をするわね」

「ああ。自慢の友なんだ」

 ひまわりは嬉しそうに茎のをばして見せました。しかし雀は戸惑いがちながら、真剣な表情で諭しました。

「確かにあなたのお友達もお月様も素敵だわ。でもね、もうあなたは昼の生き物なの。あまり長く覚えていても、あなたがつらくなるばかりよ」
「え――」
「もう生きる世界が違うのだから、どうか太陽を見て生きてね。あなたは夏ばかりの命なのだから」
 雀はそれだけ言うと、飛び去ってしまいました。
 今日もまたじゃあじゃあと蝉が鳴いております。延々に続くかと思われる大きな鳴き声の中で、ひまわりは急に孤独に突き落とされたかのような気分になりました。
 何故ならばひまわりは、昼に生きることを決めたのなら、彼らにはもう二度と会えないということを実際的には理解していなかったのであります。
 昼に生きる、夜に生きる。太陽を仰ぎ黄金色に生きる。月を仰ぎしろがねに生きる。
 ひまわりの中で、果してどういうことなのかはわかっていても、友人たる彼らと永の別れになることは、心のどこかで理解を拒否していたのでありました。
「そうか……」
 ひまわりは、夏の青空と蝉の鳴き声の中で、ようやくそれを理解いたしました。そして自分があまりにも簡単に考えていたことを悟ったのであります。

 葉の裏がひどく痛み、これが友人に会えぬ寂しさであると、ひまわりは理解いたしました。
「いや、でも、友の勧めてくれた世界なのだ……」
 仰ぐ太陽はじりじりとひまわりのしろがねの花弁を焼き、黄金へと変えていきます。
 黄金色になることが常のひまわりの普通でありました。幸せであるはずでございました。だからこそひまわりの幸せを願って、友が勧めてくれた世界でございます。

「いっそ、今から眠ってしまおうか。……いや」
 確かに、もう一度昼に眠ってしまえば、きっと夜の世界へ行けるでしょう。しかしそれは、友の勧めを裏切ることになります。

 喧嘩してまで心配してくれた友を裏切る真似など、どうしてできましょうか。

(おれは昼に生きるべきなのだ――)

 いつの間にか、蝉の大音声は止み、涼しげな風が傍を通り過ぎました。季節が変わりつつあるのです。

 夏ばかりの命。夜の友はきっとそのことを考えて昼の世界を勧めてくれたのです。

「おれは昼に生きるべきなのだ」
 ひまわりは、まるで太陽を睨みつけるかのようにきっと上を向いて、こうもりのことも、ふくろうのことも頭から追いやろうと致しました。 
 しかし、雀が何かを教え諭してくれる度こうもりを思い出さぬことはなく、大鷹が遠くで見た景色のことを伝えてくれる度、話しかけてくれる度、こうもりのことを考えぬことのなかったひまわりには難しいことでした。

 まだしろがねの残る、葉の裏が痛みます。
 しかしその度にひまわりはやや黄金に染まってきた大輪を振り、自らのひまわりであることを思い起こしては何度も自らに昼に生きよと言い聞かせました。

 それは幾日にも渡り、いつの間にか蝉たちの大声は小さくなって、少しずつ風が冷えてくるようになりました。

「浮かない顔をしているなあ」
 果して彼がそう、努力して何日目のことでありましょうか。

 日々しろがねの弱々しい花弁を焼かれて、もはやほとんど黄金に近くなったひまわりに、空から話しかけるものがありました。
 初めは雀の声かと思い、次に大鷹の声かと思いましたがどうも様子が違います。普段、二羽が飛んでいるよりももっと高い位置から、声がするのでありました。
「私だ。太陽だ、ひまわり。お前が仰ぐ、お前の親だ」
 ひまわりは大輪をびくりと震わせました。まっすぐに仰いでいた太陽、ひまわりにも似た黄金色の輝きから声がするのであります。
 考えてみれば太陽は、ひまわりの在り方をずっと見つめていたのでありました。
「いったいどうしたというのだ。ようやく私を仰いでくれたと思えば、今日はずいぶん浮かないではないか」
「お日様。僕はもう、自分のわがままなのに嫌気がさしているのです。僕は初め、夜に生きるひまわりでした。しかしそれを、友と喧嘩した後の偶然から、こうして昼に、普通のひまわりと同じように生きています。これが僕の幸せのはずなのです。なのに、なのに……」
 ひまわりはその後を言い淀みました。自分で言っておきながら、我儘なことだと分ってきたのです。
 しかし言わねば伝わるまいと、太陽を仰いで懺悔しました。
「なのに僕は、おれは、今どうしても寂しいのです。夜が恋しいのです。長く一緒に暮らした、夜の友に会いたいのです。昼の友も、賢く、やさしく接してくれました。しかし今思い返して、二度と会えないと思うとつらいのは、夜の友なのです。何てわがままなんだろう」
 太陽は、ひまわりの言葉をじっと黙って聞いてくれました。そうしてわがままであるというひまわりの言葉は否定も肯定もせず、ただ心配そうに問いました。
「しかしひまわりよ。お前は私の子。たとえ夜に戻ったとして、私を仰がぬうちはきっと命が長く持つまいよ。それでもお前は良いというのか」
「ええ。わかっております。しらじらと細くおれは育ちました。だからこそ、こうもりも、ふくろうもおれのことをたくさん考えてくれました。だから今、おれはあなたを仰ぎ、常のひまわりと同じように生きております。これがおれの幸せなのです。だからきっと、二人のことを考え、寂しくなるおれはきっと、大変な罰当たりです。でも、罰が当たってもいいから、彼らと共に生きたい。夜に生きたい。そうすればきっと寂しくない。そう、思ってしまうのです」
 言いながら、ひまわりは友に会えない寂しさが募ったのか、二、三枚もはらはらと、残っていたしろがねの花弁を落とし、頭を垂れてしまいました。
 太陽にはそれがきっと、ひまわりの涙のように見えたのでしょう。
「ああ。かわいそうなひまわりよ! お前の夜に生れついたのは、お前の悪徳ではないというのに。……よろしい。ではお前の正直な懺悔に免じ、月と相談して、お前を夜の生き物としよう。昼と夜とを司る私たちがお前を夜の生き物と認めれば、きっと誰もお前に昼に生きろとは言うまいよ」
 思いがけぬ言葉にひまわりは再び頭を上げました。
 もう一度夜に生きられる。彼らに、友にもう一度会える。思いがけぬ喜びがひまわりの中を駆け巡っていくようでした。
「その代わり、もう決して昼には来られぬ。昼に目を覚ませば、その体は焼けこげる。ゆめ忘れぬよう、心に銘じよ」
「はい。……はい。ありがとうございます」
 ひまわりにとって、彼らに会えることは命にも代えがたいことでありました。
 だからこそ精いっぱいの感謝を太陽に伝えるべく、大輪を震わせて挨拶いたしました。

 次にひまわりが目を覚ましたのは、懐かしい、夜の闇でありました。
 空にはしらじらと細い月がかかっており、黄金に染まりつあったひまわりの体も、すっかり元のしろがね色に戻っておりました。
 ひまわりは何だか、短くも長いような夢を見ていた気分でございました。しかし今までの出来事が全く夢でなかったことの証明かのように、馴染みのふくろうはじっと心配そうに、ひまわりのしろがねに光る花弁を見つめているのでありました。
「やあ、ひまわり」
 その声は、やはり少し震えていたかもしれません。
「おはよう、ふくろう。今日も……、今日も太陽がきれいだなあ」
 ひまわりも努めていつものように答えたつもりでありましたが、きっとその声は震えていたことでありましょう。
 やがてお互い照れたように、少し気詰まりでもあるように見つめあって黙っておりますと、そこにキィキィバタバタと、一匹のこうもりが飛んできて、しろがねを残すひまわりの茎にぶら下がりました。
「ひまわり!」
「久しぶりだね、こうもり」
「おれは……、おれは……」
 何か言おうとしていたらしいこうもりは、言葉が続かないのか黙りこくってしまいました。しかしそのぶら下がる足から伝わる熱に、ひまわりは彼が、自分が夜に戻ってくるのを待っていてくれたのだろうと悟ることができました。
「ありがとう」
 普段はうるさいくらいのこうもりが黙ってしまったことに想いを感じて、ひまわりは心からそう伝えました。
 ひまわりは、ふくろうにも伝えることがありました。先ほどから何か言いたげにしては言葉を探しているらしいふくろうを見上げて、ひまわりは大輪を傾げて謝りました。
「ふくろう、すまない。せっかく常のひまわりと同じに生きられるよう願ってくれたというのに。おれは友達を裏切ってしまった」
「何を言うのだ。謝るのは俺の方だ、ひまわり」
 よくよく見ると、ふくろうの黒い眼には後悔とともに歓喜もまた浮かんでおりました。懺悔するように瞳を閉じて、か細い声でほほうと鳴きました。
「昼に咲くことがお前の幸せと、俺は一人勝手に決めておったのだ。すまない。すまない、ひまわり」
「ふくろうのせいではない」
 ひまわりは、昼に咲き、夜の友のいない時間を過ごしたからこそ分かったことがありました。
 雀も大鷹も大変優しく、昼の世界も確かにいいものではありました。しかし、生まれてから共に育った彼らに二度と会えないことーーそればかりは、いくら昼の世界が優しくとも、耐えがたいことであるとようよう気づいたのであります。 
「幸せは、周りに決めてもらうものではない。おれ自身が決めることなのだと、夜に咲くのがおれの幸せなのだとようやく悟ることができたのだ」

 無駄ではなかった。ありがとう。ひまわりはそう、友人に伝えました。
 しらじらと輝く月は、彼らを微笑ましく見守っているようでありました。

​ 夏は、あっという間に終わってしまいました。

 黄金色のひまわり畑から、少し離れた森の近く。しろがねに咲く不思議のひまわりは、夏の夜をめいいっぱいに生き抜きますと、やがてたくさんの種を残しました。
 こうもりもふくろうも、雀も大鷹も、その種をたくさん拾い、そうしてひとつもこぼすことなく丁寧に土に埋めてやりました。
 夜に咲く不思議のひまわりの群れはやがて野畑となり、黄金色のひまわり畑と対比して、しろがねのひまわり畑と呼ばれたということであります。

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