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​なあ、先生

 薄暗い部屋の中で直立している男は、銀髪の美しい少女に問いかけた。
「なあ先生。昔は会社ってのがあって、人は皆そこへ行き金を稼がねばならなかったんだろう」
「ええそうです。しかしあなたの衣食住と学習は全て補償されていますので、あなたがする必要はありません」
 男がまだ何か聞きたげであるのを察して、少女はにっこりと完璧に笑顔を見せる。
「他の質問も、お聞きします」
 男は少し考えて、馬鹿に明るく光る、手元の板を見せびらかす。
「先生、昔の人たちは皆液晶の付いたこんな小さな板を持って歩いていたんだろう」
「はい。スマートフォンと呼ばれる媒体です。別の人間とのコミュニケーションや計算機、スケジュールの管理に使用されたほか、液晶に表示される画面で遊戯に興じていたことが確認されています」
 男はうんざりしたような表情で頷く。
「なあ先生、人間は自立し、外へ出掛けていたのだろう」
「ええそうです。人間は『足』と呼ばれる器官で直立し、歩行することができました。人間が、自身の体について残したテキストデータなども多く残されています」
 男が頷いたのを一瞥し、少女は言葉を続ける。
「テキストデータは初め、植物である木の板や、あるいは植物の繊維を溶かし、再形成したものなどに記されていました。いずれにしても『手』という器官を使用する必要がありました」
「手足……、肉体」
「ええそうです。まさにあなたの持つその」
「なあ先生」
 男は少女の言葉を遮った。
 二人きりの、薄暗い空間の中でも、男の表情に悲哀が映るのがよくわかった。
「愚かなる人間である俺は何故ここで、その小さな板を持って妙なポーズを取らされているんだ」
「昔の概念では、『動物園』『博物館』などが近いでしょう」
「先生は『飼育員』か――」
「いいえ。『飼育』には餌や水をやり、運動をさせる必要がありましたが、いずれもシステムにより完全に保たれていますので、そのたとえは適切ではありません」
 少女は笑う。
「私は『人間』の持つ最も弱い機能たる『心』を保全するための存在です。このため、『人間』に近い形を取っています。我々にとって、地層から『人間』の一部を発掘したのは幸福でした。技術により『人間』を再生させ『人間』のしたことの愚かさを保存し、我々が忘れないようにするため、あなたは存在します」
「俺は『人間』を知らない――」
「知らなくとも、あなたが『人間』であることには一部の疑いもありません」
「そうか……」
 男の表情は、悲哀から絶望に少しずつ転じていた。
 生を得てより二十八年間、同じ場所同じ格好で、ただ人の咎を示すためだけにここに佇む男は、何度目かの絶望に打たれていた。
 美しい少女は笑顔のまま告げた。
「心の安寧が保たれていないことを確認しました。今からおよそ前後五分間の記憶を抹消し、芽生えた自我、および存在意義についての疑問の種を破壊します。――自我の発生、通算六億五千二十三万四千百十一回目。および存在意義についての疑問発生、通算五億四千四十万九千十一回目。回数エラー確認。いずれのバグも頻発しているため、対象を処分の上、新たな『人間』への入れ替えを行います」
 変わらぬ笑みを浮かべたまま、美しい少女は男の生命を維持する装置を取り外した。
 静かな空間で、男の死骸を解体する音だけが響いていた。

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