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閉校の話

 校歌でそう歌われていたから、楠は空に輝くものなのだと思っていた。
「取り壊しの前に、式典があるらしいわよ」
「へえ」
「行ってみたら」
「いや――」
 少し押しつけがましくもあるその純粋たる厚意は、世の中の母親が一般的に持つ『親心』に違いないのだろう。
 しかし××が首を横に振るのは、純然たる優しさの押し売りが、血が出るほどに捻くれ曲がった自らの心には痛いほど染みるからということと、もう一つあった。
「いいよ。だってどうせ、お涙頂戴式典でしょ」
「またそんな言い方して」
 ××の通った小学校はこの春に取り壊される予定だった。
 学校経営は、まるで自然の摂理のように与えられるままにできるものではなく、そして立ちいかなくなった学校は閉校せざるを得ないということを、小学生よりは十二分にわかり始めている社会人だというのにこうも悪態をついたのは、××の中で小学生時代の思い出が何よりも神聖であり、また聖域でもあったからである。
 それを陳腐な、お涙頂戴のような式典で上塗りされたくはなかったし、何よりもその式典に出てしまえば、自ら楽しんだあの思い出を全て過去のものとして享受せざるを得ないという気もした。
 ――小学校の卒業など、既に十五年は前のことである。
 それでも××の中で、小学生時代の思い出は生きており、母でさえ、今は大人になっているであろう当時の友人にでさえ、触れられたくない聖域であった。
 綺麗なままで、置いておきたい。
 そう言い換えられるかもしれなかったが、言い換えなかったのは、それ以外の悲哀のような、絶望のような感情が切々と××の心を覆いつくしていたからでもあった。
(大概、感傷的だな)
 自らが六年間を過ごした場所が潰れるだけの、たかがそれだけのことである。
 それだけの事実である。感傷的になる必要などどこにもない。
「じゃあ、また帰ってくるからね」
「あら。忙しいのね」
「はは、近いじゃん」
 足早に実家を去り、××は自らが独居する住まいへ向かう。これ以上、自らの感情を掻きまわされたくなかったのもあった。
 生徒数が少ないのも、閉校のうわさも、自らが在校していたころから知っていたが、在校中は何もなかったし卒業してからも、もう少し先だろう、先だろうと思っていたところに唐突の出来事であった。
 自らにとって、小学校の思い出が人生で最も美しいものであった。それだのに、校舎を振り返って思い出に浸る機会すら、永久に奪われた。
 たかが、建物である。たかが、小学校である。たかが、六年間の思い出が削り取られるだけのことである。
 だがしかし、この感情を何と呼ぶのであろうか。

 ××はその日、小学校の裏庭で燦然と輝いていた楠の夢を見た。
 起きて泣いていたのは、その堂々たる居住まいが、あまりにも眩しかったからだろう。

 

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