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眠り姫の王子は眠る

 静かな森の奥に、茨に覆われた古いお屋敷がありました。
 嫌われ者の一の王子は、いつもそこへ出掛けては、誰にも邪魔されない一人の時間を過ごしていました。
「ああ神様。私の目は美しい景色を映すにはあまりにも小さく、鼻はひしゃげて、声はしわがれています。どうしてこうも、私を醜くお作りになったのですか」
 一の王子は誰も居ないお屋敷で嘆きます。お城では誰が聞いているか分からないので、こうして静かな森の奥へ一人で来るほかないのです。
 そうして一通り悲しみ終わると、短い足を引きずって、元のお城へ帰るのが習慣でした。

 ある日のことです。
 一の王子がいつもの通り、茨のお屋敷で嘆いていると、その奥の部屋から物音がしました。
「誰だ。私の嘆きを聞くのは」
 驚いた一の王子が奥の部屋の扉を開けると、果してそこには、若く美しい一人のお姫様が眠っていました。
 波打つ栗色の髪、透き通るように白い肌、美しく通った鼻筋、伏せられた長い睫毛。
「何と美しい姫だろう」
 寝台に横たわるその美しいかんばせを見て、一の王子は一目で姫を好きになってしまいました。

「おや」

 美しい姫は苦しそうにうなされています。

 一の王子はかわいそうに思ったので、さっそく姫を目覚めさせようとしましたが、あっと気づいて思いとどまりました。
 姫が目覚めた時、一の王子の醜い顔を見て驚きはしないでしょうか、怖がらせはしないでしょうか。
「私のような醜い者に起こされては、姫もきっと寝覚めが悪かろう。しかし私の弟の、二の王子は大層な美男子だ。二の王子に言いつけて、姫を起こしてもらえば――」
 一の王子はそこまで呟いて、やっぱり思いとどまってしまいました。
 二の王子が姫を起こせば、姫はきっと苦しい夢から解放されることでしょう。
 しかしどうでしょう、姫が一度起きてしまえば、美しい二の王子のお妃になりたいと言い出すかもしれません。
 そうすれば一の王子が、この美しい顔を見つめる機会は失われてしまうかもしれないのです。

 一の王子はやはり、二の王子に教えるのが惜しくなってしまいました。初めてできた、愛する人を失ってしまうのは、耐えがたかったのです。
 一の王子は、寝台の傍に跪きました。
「ああ、美しい姫よ。どうぞ、この心根も醜い私をお許しください。そして美しいあなたの寝顔を見つめ続けることを、どうかお許しください」
 ――お詫びの代わりにはなりもしないでしょうが、あなたを愛してしまった私の、至上の愛の言葉を差し上げます。
 だからどうか、お許しください。
 そこまで言った一の王子は、姫の寝顔を見て再びおやと思いました。
 姫は少しばかり、和らいだ表情になっていたのです。

 それからというもの、一の王子はいつにもまして足しげく、茨のお屋敷に通うようになりました。今度は嘆くためではありません。
「姫よ、今日もあなたの美しい寝顔を見つめることをお許しください。長く艶めいた栗色の髪、美しく伏せられた睫毛、微かに微笑みを湛えた薄桃色の頬、私は全てが愛おしいのです」
 今まではただ自らの醜さを呪うような言葉で嘆いてばかりいた一の王子は、姫と出会ってから、愛の言葉だけを口にするようになっていました。
 不思議なことに、一の王子が愛の言葉を囁けば囁くほど、初めはあれほど苦痛に満ちていた姫の表情に笑みが宿り、青白かった顔色も今はほんのりとバラ色に変わっているようでした。
 けれど一の王子がどれほど愛の言葉をささげても、姫が目覚めることはありません。
 また、一の王子も、姫を目覚めさせようとすることもありませんでした。
 それどころか、この所、見違えるほど美しい表情を見せるようになった姫が、いつか目覚めやしないかと畏れてすらいました。
 もし、姫が目覚めてしまえば、一の王子の醜い顔を見て、何と言うでしょう。
 一の王子は不安で、また悩んでもいましたが、決して茨のお屋敷の中で不安を口にすることはしませんでした。姫の顔を見れば、愛の言葉を囁かずにはいられなかったのです。

 目覚めてしまいそうな気配の姫。しかし、彼女が目覚めれば私を愛さないだろう。けれど、自分は愛の言葉を囁かずにいられない。ああ、いつまでも、彼女の寝顔を独り占めできればいいのに。
(そうだ――)
 悩める一の王子は姫を愛するあまり、恐ろしいことを思いつきました。

 美しい二の王子は、一の王子があまりにも頻繁に出かけているので、不思議に思っていました。
 一の王子が時々ひっそりと、森に出かけていることは知っていましたが、このところ様子が違います。
 以前までであれば鬱々とした様子で仕方なく出かけていた様子であったのに対し、この頃はどこかうきうきした様子なのです。
 ただ楽しそうなだけであればいいのですが、まるで取りつかれたように頻繁なので、心根の優しい二の王子は心配していました。
「何か、悪いものに魅入られていなければいいが」
 ある日、二の王子はばれないようにこっそりと、一の王子の出掛けるのについて、静かな森へと出かけました。
「兄さんはいったい、どこまで行くのだろう。……おや、あの建物は」
 鬱蒼とした森の奥に、茨で囲まれた古い建物があるので二の王子は驚きました。
 一の王子の丸い背中は、迷いのない足取りで茨のお屋敷の中に吸い込まれていきます。
 二の王子は注意ぶかく観察しながら、一の王子について、そうっとお屋敷の中に入りました。
 
「愛する姫よ。今日もあなたの美しい寝顔を見つめることをお許しください。ガラスのようにつややかで透き通った肌、すらりと伸びた美しい手足。あなたは全てが美しい。きっと声も美しいのでしょう」
 一の王子は美しい笑顔で眠る姫に優しく声をかけます。
 そして少し躊躇しながらも、懐の中から、小瓶に入った紫色の薬を取り出しました。
 姫の眠る寝台の傍に跪き、じっと黙り込みます。
 やっと決心がついたように、薬瓶のコルク栓を抜きました。

 美しい姫の唇に、紫色の怪しい薬を垂らそうとしながら、懺悔のような言葉を呟きます。
「姫よ。姫よ。どうかこの憐れで醜い心根の私をお許しください。私はあなたを愛しています。あなたの美しさを愛しています。無論、今後一切あなたの身を汚すつもりも壊すつもりもありません。しかし、あなたの寝顔を愛してしまいました。だからどうかこれからも、私に至上の愛を捧げさせてください。どうか私のために、このまま穏やかにずっと、眠っていていただきたいのです――」

 その時、二の王子の、悲鳴にも似た美しい声がしました。
「危ない。美しい姫よ、どうかお目覚めください」

 姫はぱちりと目を開けました。 
 驚いた一の王子は薬瓶を取り落としそうになりながらも、二の王子を振り返りました。
「ついてきていたのか、弟よ――」
「兄さん。そんなことをしてはいけない。さあ、美しい姫よ。どうぞこちらへ」

 二の王子は姫の手を取ると、一の王子から庇うようにして隠しました。
 言葉を継ぐことができずにいる一の王子の耳に、美しく嫋やかな声が届きました。
「王子。あなたでしょう。わたくしにずっと、愛を囁き続けていたのは」
 二の王子の背に隠れている、姫の言葉でした。
 一の王子は、飛び上がらんばかりに驚き、また喜びました。
 姫は、自分を信じてくれたのです。眠っている間に至上の愛をささげ続けていたこの自分を信じて、優しい声で問うてくれたのです。
 ああ、眠り薬の用意など、必要がなかった。目覚めた時の心配などする必要がなかった。何故なら姫は、この醜い自分の愛を、信じてくれていたのだから。
 その美しいであろう表情を見ることはかないませんでしたが、一の王子は喜びを隠しきれない声で答えました。
「ええ。姫。愛する姫よ。その通りです。私です。その栗色の髪、透き通るような肌、美しい睫毛。あなたの寝顔を、あなたの姿を愛し、愛の言葉をささげていたのはこの私です――」
「黙りなさい」
 一の王子は、何が起きたのかわかりませんでした。
 静かに、しかしぴしゃりと一の王子をしかりつけたのは、自分の愛を信じてくれていたはずの、美しい姫でした。
「黙りなさい。ばけもの。誰が、わたくしを殺そうとした者の言葉を信じるものですか。わたくしは、美しい王子と話しているのです」
 若く美しい姫は、憎悪の色をその燃えるような真っ赤な瞳に湛えて、一の王子を睨み据えていました。
 姫は、一の王子が捧げてきた至上の愛の言葉を、二の王子の言葉であると受け取ったのです。
 そこから一の王子が、何を言っても何度説明しても、睨み据えるばかりで、一切の言葉を聞き入れてはくれません。
 一の王子は、全ての言葉を失いました。

 やがて、二の王子と美しい姫との結婚で、街は大賑わいになりました。
 嫌われ者の一の王子は、いつの間にか行方知れずになっていたので、街の人はあの醜い顔を見なくていいのだと、大層喜びました。
 心根の美しい二の王子だけは、兄の行方を考えて、時々暗い気持ちになっていましたが、しかしそれも、日々の忙しさに、やがて忘れていきました。

 一の王子は、姫の去った後、薬瓶に入った紫色の薬を飲み干すと、決して覚めない眠りについていました。
 夢の中では、かつての誓いの通り、美しい寝顔の若き姫に至上の愛の言葉をささげ続けています。

 愛にとりつかれた醜いばけもの。茨に纏われた古いお屋敷では今も一人、滾々と眠っているそうです。

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