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​お急ぎなさい

 電灯もない暗いあぜ道を僕はただ歩いている。
「お急ぎなさい、お急ぎなさい。後ろから化け物が来ていますよ」
 手元にある提灯の光だけが頼りだった。
「お急ぎなさい、お急ぎなさい。後ろを振り返ってはいけませんよ」
「しかしどこへ行けばいいのだろう」
「お急ぎなさい、お急ぎなさい」
 注意を呼び掛ける老紳士の声は少しずつ近づいてくる。
 急ぎたいのはやまやまだが、慣れぬ草履が擦れて痛いので、早歩きしかできないのだ。
「お急ぎなさい、お急ぎなさい」
「ええ、急いでおりますとも」
「お急ぎなさい、お急ぎなさい。捕まってはなりません」
「……」
 後ろをついてくるらしいしわがれた声。
「お急ぎなさい、お急ぎなさい」
「あのう」
「お急ぎなさい、お急ぎなさい」
 しつこい老紳士に道を譲ろうと、くると振り返った僕はすぐさまぎゃっとと叫んだ。
「お急ぎなさい、お急ぎなさい」
 真っ赤な口を開けた化け物が、僕を飲み込まんと待っていた。

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