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第二話 てきこくの

 蝉がやかましいくらいに鳴いている。まだ夏休みの始まる前の日曜日。神社の境内には一人、昔ながらの竹ぼうきで掃除する巫女装束の少女がいる。
 ここは巽家からそう遠くない神社だ。お世辞にも大神社とは言えないが秋にはここで七五三をしたり、または厄払いに来る客もいて、子供たちの遊び場にもなっている。本殿へ続く石畳の脇には狛犬が二つ、そして小さな手水場がある。
「あ、これ清香の家じゃない?」
「巽家見つけやすいの分かるけど遊ばないでよ」
 睦実が名前を探して遊んでいる玉垣の上には立派な楠が夏の日に向かって濃緑の葉を伸ばしている。まるでこの神社を守るようにぐるりと木々が植わっているのだ。玉垣の間から覗く少女の髪は巫女装束とアンバランスな長い金髪で地面を掃くたび揺れるポニーテールに清香は思わず感嘆を漏らした。
「び、美人……」
「あの子探しに来たんじゃないの。遊ばないでよ」
 睦実に言われて清香はうっと黙ってしまう。そうなのだ。昨日打ち合わせたばかりの四人は、さっそく朝から睦実の教えてくれた神社を訪れ、正面の鳥居もくぐらず外から中の様子を窺っているのであった。楠がやや斯くしてくれてはいるが道路に面するこの神社で四人集団が固まっていれば明らかに目立つ。分かってはいたがつい見惚れてしまったのだと清香は言い訳にもならぬ言い訳をした。
「さて、じゃあ僕行ってきますね。……清香さん、何ですかその顔は」
 清香の言い訳を誰も引き取らぬ内、レイがふうと息をついて鳥居をくぐろうとした。慌てて清香が止める。
「いや、え、レイさん待って?」
「一緒に来ます?」
 何でそうなる。あ、見つめてたからか。いやしかしそうじゃないと清香は首を振る。
「探してるの、『お兄さん』だよね? レイさんの」
 清香はもう一度ちらりと神社の中を見る。少女がいる。そうなのだ。いるのは美しい少女なのである。
 もともと四人が打ち合わせてこの神社に来たのは、一緒にこの世界へ転生したはずのレイの兄を探すためだ。そのために金髪碧眼でこの辺りにいそうな、年齢の近い少年を探していたはずだ。
 しかし今、神社の中にいるのは紛う事なき美少女である。女性である。兄にはなり得ない。
 清香の疑問にレイはさらっと答える。
「ええ、そうですね」
「女の子だよ」
「そのようですね」
(あれ、私がおかしいのかな?)
 女性は兄にならないと思うのだが、レイの常識では異なるのだろうか。それともレイ達の世界で「兄」は女性のきょうだいを指す言葉なのか。清香が色々考えているとレイはくすりと笑った。
「ちょっと意地悪しましたかね。女性なのはわかってますよ。しかしあなた方と同世代くらいでこの辺りに住まいがあり、金髪に青い目という前世との条件も一致する。そうなると、いくらでも変えられる外見の性別なんて些細なものです。別人だったとしても『ちょっとおかしい人来たな』で済みますよ。ダメならまた探せばいい。どうせ――」
「え?」
「あ、いや、何でもないです。まあそんな大したことでもないですよ、当たって砕けろです。じゃ、行ってきますね」
 あっさり言って、あっさり鳥居をくぐってのけるレイに清香はまじまじとその姿を見つめる。
 もし違ったらまた別の人を探して当たるつもりなのだろうか。そしてその途方もない人探しをずっと続けるつもりなのだろうか。
「……レイさんすごいね」
「何が? 今日のシャツが?」
 睦実の言葉に清香は「違う」と言いかけて引っ込める。そうなのだ。今日も彼らは何故だか文字Tシャツなのだ。去って行った例のシャツには「厚顔無恥」、シャツと言われて自分の服を不思議そうに引っ張っているルウスのシャツには「引っ込み思案」。どこで買うんだこういうの。
「つう、はんと聞いた。いつも『7』という数字の書かれた店で受け取る」
「ネット通販してコンビニ受け取りしてるのかあの人」
 ルウスの言葉に清香は脱力した。何故そんな手段を知っているのだ。本当に異世界初めてなのか。いや、すごいと言ったのはそこではない。そこも含めてかもしれないが。
「私たちに対してもそうだったけど。異世界来てここで生活して、しかも見ず知らずの人に自分達の世界のことを説明して、ついてきてもらおうとするってすごい労力だよね」
 睦実は一瞬考えたようだったが、すぐに顔をしかめた。
「仕事だからそんなもんなんじゃない? あの人結構年上じゃん」
「まあそれは……」
「きゃああ!」
「……やっぱり不審者扱いされてんじゃん!」
 境内から聞こえてきた黄色い悲鳴に清香が思わず駆け出そうとすると強い力で引っ張られた。
「セイカ、陸奥、離れるな」
 聞いたことのないような固い声、知らないはずの自分の名前。
 誰が引っ張ったのか、はたまた何事かと清香が振り返る内に、何か重たい金属でも降ってきたようなガシャンガシャンという音が辺りに響く。青い体の、金属製の、ロボットと言うには少し古風な――。
 鎧兵。
「キミョーマシン? いや、まよえるよろいかな」
「な、何……」
 睦実のつぶやきが強がりにしか聞こえない。
「青の、敵国の、兵だ」
 気づけば清香と睦実は大きな背中にかばわれていた。ルウスだ。ルウスだが雰囲気が違う。いつもどこかレイの陰に隠れて言葉少なだった彼の背から、いつもの穏やかさではなく気迫が伝わってくる。
 キンと鋭い音がしてルウスの手には抜き身の長剣が握られる。夏の日に照らされる白銀の輝きは清香が今までの人生で全く目にしたことのないものだ。刃物だが刃物じゃない、武器だ。
 睦実が国民的ゲームのキャラクターに例えた青いロボットも同じものを構えて対峙している。相手は二体。
(本物……、何で、何でこんなのが降ってくるの……!)
 姿を認めた途端、清香の心臓はバクバクと音を立て始めた。気圧が急に変わったときのような、耳の奥の痛みも走る。この世界はファンタジー世界じゃないんだぞ。十七年間自分が生きてきた世界だ。清香だって睦実だってこんなものを見たことがない。この説得もできそうのない相手に、彼は、一体どうすると――。
「大丈夫だ」
 穏やかな調子で、ぽつりと呟くような声。ルウスが振り返って頷く。
「セイカは、私が、まもる」
 そんなこと言ったって、何もわからないのだ。ルウスが強いのか、どうにかなる相手なのか、どうするのか。
 この現代で生きてきた自分はこんなもの知らないし、何もわからない。
「……もちろん、信じています」
「……え?」
 どうしてか清香の口の方から先にその言葉が滑り出た。驚いた様子の睦実の視線で気づいて清香は思わず口元を抑える。
 言い慣れた言葉だった。自分はこの言葉を知っているし、この背中を知っている気がする。
(何か、おかしい)
 不自然なほど、彼の背中が頼もしく見える。勝てるはずだと信じている気がして、何よりこの感覚を知っているような気がする。たった数日前に会ったばかりのはずだというのに。これはいったいどういうことなんだろう。
 ルウスが青の鎧兵に立ち向かう姿を見つめている内に、清香のうるさかったはずの心臓は少しずつ鳴りをひそめていった。

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