ペンと剣
二十一世紀になってしばらく経つのに前時代的な剣での戦闘である。それも新兵の敵同士が夜の林間で不意にぶつかったものだからやむを得ないが、双方随分へっぴり腰の剣技であった。しばらく迫力のない競り合いが続いた後双方の兵士が息切れし、お互い二メートルほどの間合いを取りながらもやや背の高い方が月夜に吠えるように言い放つ。
「剣をペンに持ち替えるとは聞いたことがあるが、ペンを剣に持ち替えるとは一体どういう了見だ」
夜の敵同士の衝突らしからぬ大声に、辺りの動物は驚いたのか静まり返り虫は遠くへ羽ばたいていく。
敵の新兵は必死の叫びに笑ったようだがその表情には同病相憐れむものがあった。
ある時、地続きのA国とB国で始まった戦争は、どういうわけか軍隊同士では行われなかった。いずれも決して小さな国ではなくそこそこの大きさで、世界に影響を及ぼせるほどではないが大陸には影響を与えられる程度の力はある国であった。それなのにまるで示し合わせでもしたかのように両国とも、軍の代わりに明らかに戦闘には不向きな、文筆を生業とする者を、それも有名作家から四流雑誌の編集者に至るまで根こそぎ徴兵し、殺し合いをさせ始めた。
「……決まっているだろう」
相手国の兵は同情を顔に浮かべながらも剣士の真似事をして間合いを図る。慣れてないのか剣先は震え、汗がぼたりと地に落ちた。
「何がだ、何の利がある。冗談じゃない」
国同士の戦いである。冗談ではすまされない、利権争いの戦争である。次の戦争は核かサイバーかと他ならぬ物書きたちがこぞって書き立てていたというのに。一世紀ほど戻った人間同士の戦争でさえもっと戦いに向いた人間を使っていた。それだのに二十一世紀にもなってどうだ、もやしのような細身の、あるいは締まりのない肥え太った兵が、あるいは明らかに戦闘に向かない、白魚のような細腕の女性が兵士として両国陣営をうろついている。
「それに俺はもうすぐ新作を上げられるはずだったんだぞ。それを、くそ」
男の不満に、敵兵は汗でずり落ちた眼鏡を片手で上げながら続ける。この男もまた小柄で痩身だった。
「戦争中のジャーナリズムほど、そして平和を願う物語ほど国家にとって邪魔なものはないんだ。数を減らしたいんだろ」
「……」
「まあ、それでも俺は戦うんだがな」
「何故だ、何故お前は――」
そう問うた瞬間、男は自分の心臓に剣の突き立つ音を確かに聞いた。痛いなどではない。重い。熱い。意図せず口から血を吐く感覚。ぐるりと、突き立った剣の捻られる感触。鋭く、剣の引き抜かれる痛み。今までの一生でただの一度も味わったことのない感覚。
――ああ、だからこの男は。
戦場でなければ物書きであった男は唐突に理解した。
この場に剣でなくペンがあれば。
眼鏡の敵兵は男の倒れ行く様をじっと観察していたが、ふうと大きく息を吐いて、ややあってから続けた。
「この体験が俺の文章をよりリアルなものにするだろうからだ。だから俺は生き延びて、ペンを取る」
「……物書きめ」
「苦しいだろ、もう喋るなよ」
もう男の声はほとんど聞こえない。ペンがあれば。ペンがあれば。――。
「お前のことも書いてやるよ、吠え男」
眼鏡の兵は剣を振って血を払うと、目を開いたまま死んだ男を一瞥し、夜の闇に消えていった。辺りにはまた、夏の夜の虫と動物の声が響き始めていた。