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冬の夜には窓を開けて​

 どこかのお土産で買ってきたガラスの人魚の置物が、夜毎空を泳いでいる。二十センチあるかないかの小さな体で美しい青の尾びれを揺らめかせ、今日も彼女は窓辺から冬空へと旅立った。
「楽しいかい」

 声を持たぬ彼女はとびきりの笑顔でうなずくと窓辺を少しばかり離れて近くの街灯のところまで泳いでいく。僕は窓辺に椅子を持ってきて冬空を見上げる。窓を開け放たっているのは彼女がいつ気まぐれに戻ってくるか分からないから。冬の月と星と、たまにガラスの人魚が視界を泳ぐ。食後の紅茶に口をつければ、遠くで新幹線の通る音がした。
「寒いのに元気だねえ」
 夜になれば部屋を泳いでいた彼女に戯れで窓の外を指差したのは僕だ。何か壊されてはたまらなかったからだが、今思えば要らぬ癖をつけてしまったものだ。あれは夏だからよかったのだ。僕は寒いばかりで良いことのない冬なんて、そんなに得意じゃなかったというのに。彼女は寒さを感じないのか、それとも夜空を泳ぐのが楽しいのか、毎晩の催促が熱烈で窓辺で見守る僕はいつも寒さに凍えている。

 そう、冬の夜に窓を開け放つなんて寒いだけで良いことない。
「もう終わりだよ」
 不満そうな彼女の表情に苦笑を返して招き入れ、窓を閉めて鍵をかけた。身に染みていた風の寒さがシャットアウトされみるみる内にエアコンの暖かさが僕を包んでくれる。ほうっと息をついた。
「また明日」
 すっかり置物に戻ってお澄まししている彼女の頭をそっと撫で僕はベッドに向かう。
 ああ寒かった。明日も付き合わなきゃいけないのか。
(なんて)
 澄んだ空、凛とした月、楽しそうにはしゃぎ回る彼女。
  ――冬の夜に窓を開け放つなんて、寒いだけで良いことないと思っていたのに。

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