桜狩り
この頃の流行りであると言う。
「確かに紅葉を見に行くのは紅葉狩りと言うが、桜を見に行くのは花見と言うのでないのかい」
「ああそうだ。桜を見に行くのは花見だが、桜狩りはすこし違う」
「ほう」
「桜の絵を描いたり、写真を撮ればそいつが狩られるのさ」
桜の下で告げられた言葉に、高橋は少なからず目を見開いた。隣に座す青年は桜のスケッチを続けながら平然としている。
四月初めの桜盛りのことである。酔い醒ましの散歩ついでに桜を眺めたのは自分だが、とんだ薬もあったものだと高橋は空を見上げた。
真っ青なのは空の色を映した彼の顔もである。
「しかし……、しかし何とも、悲しい話だなあ。桜が害なすわけでなし、ただただ美しいばかりだろう」
「美しいからいけねんだろう」
「どうして」
「人を惑わす」
「なるほど確かに」
幹のしなやかに曲がりくねり、伸びた先に薄く色づいた花をこぼし笑う、その姿は艶やかな肢体を思わせても仕方ない。
幻惑、春の恋。
「美しい姿を垣間見た故の嫉妬か。穏やかでない」
「何より悪いのは、嫉妬の彼がそれに気づいていないことだ」
「そりゃそうさ。誰だって桜に恋したなんて気づきも認めもしないだろうよ」
高橋はもう一度青年を見下ろすとその顔つきのやけに冷静なのに、与太話だろうとあたりをつけた。
狩られるとわかってスケッチをするやつもないだろう。
「じゃあ、俺はもう行くよ」
「ああ」
青年は高橋を振り返りもせず、桜を描き続けている。しかしそのわりに筆の進みは遅いらしかった。
酔いでおぼつかない高橋の足音が遠くになってから、青年は立ち上がり、ようやく彼の行ったほうを振り向いた。
「頼むから、俺で最後にしてくれよ」
高橋を見送った青年は、描きかけの桜を宙に舞わすと、微かな鉄の匂いをさせながら風と共に消え失せた。