社会不適合者の心臓
心臓の微細な形が心のありように影響することが分かってから、心臓の形成手術を受ける人が増えてきた。
だがわたくしはその形成手術に反人道的な、あるいは神に反逆するような恐怖があったので受けずにいたところ、社会のストレスに耐えかねるようになり、到頭社会不適合者の烙印を押されるに至った。
社会不適合者の烙印を押されたのち、それでも手術を希望しない者は、適切な病院に通えば「希望薬」を処方してもらえる。保険も適用されるから安くに手に入る。何でも「希望薬」とは絶望したときに飲むのだという。そんなら「絶望薬」でないかと諸兄はお思いかもしれないが、そんなことはない。「希望の涌き出る薬」ということだ。
わたくしは職を失って日々絶望しているので、明日からの分の希望薬をたくさんもらうと××町の小さな診療所を出て、帰路についた。しばらく桜並木の大通りを行くと、交差点で晴れやかに躍り狂う人を見かけた。身の丈百七十センチくらいのやせ形の男で、何がそんなに嬉しいのかスキップをして辺りを走り回っている。
皆避けるようにして遠巻きに見ているようだが、彼に声をかけるものはない。わたくしもその一人で、彼を遠巻きに見ながら黙って信号の変わるのを待っていた。
ただ、道端に桜の花びらがはらはらとまばらに落ちている春の日のことであったから、春の陽気にすっかり酔っているのだろうと思うばかりであった。
やがて青信号になったので、その日はそれだけで帰った。
翌日朝刊を見ると、昨日躍り狂っていた男の、車に轢かれて死んだのが出ていた。何でも男は心臓の形成手術を受けていて、さらにその手術には大きく失敗してしまい、正気を失ってしまったということであった。
わたくしは斜め読みに新聞を読みながら、希望薬を飲み下して、そうしてからふと記事の内容が気になってもう一度読み直した。
昨日躍り狂っていた男を轢いた車に乗っていた運転手は、希望薬を飲んでいたのだという。そして希望薬は患者自身の意志でやめることはできず、少しずつ服用量も増えてきてしまういわば麻薬のようなもので、社会不適合者を適切に処理するために政府によって開発されたものだと書いてあった。
わたくしはただいま飲み下した薬の名前を確認した。
追求された政府は、日本人の減り行く社会で、より良い日本人の遺伝子を残すため、社会不適合者は淘汰すべきとの見解を示しているようであった。
わたくしは何だか、踊り出したいような気分にかられ始めた。