腕(かいな)
女は浮気であった。浮気であるからには蠱惑的で、奔放ながらもどこかあどけないような顔をしていた。
「愛しているわ」
「嘘だろう」
年は分からなかった。
ただ少女のようでありながら、そう言って男の背後から巻きつける白い腕は所作も気だるさも、女性のものと言って差し支えなかった。
「冷たいのね」
「だって君、同じことを何人にも言っているのを僕は知っているんだぜ」
男は腕をゆっくりほどく。
彼女は急に女性らしい顔つきになり、「真面目なのね。それでもあなたが一番好きなのは本当よ」と笑う。
「気まぐれめ。猫のようだ」
男はふいと背を向ける。事実、女はふらふらどこかに遊び歩いてはいつもこの男の家に帰ってくるのであった。
「今度はいつまで家にいるつもりだ」
女はまた少女のように笑う。
「ずっとよ。愛しているわ」
「嘘だろう」
女はしばらく男の家で彼をからかうと、そうしてまたふらっといなくなった。いつものことだろう。男は大して気にも留めないまま日々を過ごした。
「ねえ。私と心中してくれないかしら」
再び女が現れた時、彼女は少女のような声でそう告げた。いたずらでもするように、気軽に外へ連れ出すかのように男を誘った。
「冗談言っちゃいけねえさ。俺はあんたの名前すら知らないんだぜ」
「名前を教えれば良いのかしら」
「そうだな。名前だけでなくて、いくつで、どこに住んでて、本当は何者なのかとか」
「つまらない人。私の住まいはここだけよ。私は私でしかないわ」
冗談にまぎらわせようとした言葉が案外に続くので、男は目を瞬いた。少女のような顔をしていた彼女は、その奥にどこか憂いを帯びていた。
「私と心中してくれないかしら」
「冗談言っちゃいけねえ」
「愛しているわ」
「嘘だろう」
「……弱虫」
「その弱虫のおかげでお前は生きるんだ。お前は一人で生きても死んでも行けやしないだろう」
「よく知っているのね」
「当たり前だ。何年一緒にいると思っている」
面喰った顔をした後すぐ、女は少女のように笑うと、白い腕を男にぎゅっと巻き付けた。男はそれをほどかなかった。
女が男に心中を持ちかけたのはそれきりで、またふらりと姿を消しては時々男のところに現れる。だいたい猫のような性質だから、気まぐれに死や生の間をふらふらするのだ。
「愛しているわ」
「嘘だろう」
「冷たいのね」
女はまたそう言いながら、少女のように嬉しそうに笑っている。