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第三話 しんこうの

 覚悟が足りなかったのかもしれない。あるいは浮かれていた、とも言えるだろう。青い髪に青い目を持って生まれた幼馴染に比べれば、いつだって自分は平凡で、実の親でさえ睦実の方を構い実子の誕生日をもちょくちょく忘れるような有様なのだから。
 だから、浮かれていたと言われれば否定できない。急に降ってわいたおとぎ話のような話、異界の国を救ってくれと、あなたはその国の王女だったと言われて助けを請われれば、かの国の窮状に悲観する気持ちは置いておいて浮かれるところがなかったとは言い切れない。
「……」
 夏の夕方。いつもの代わり映えない学校からの帰宅道。暑気にやられたような蝉の鳴き声。辺りには誰も居ない、いや正確にはいる、あるいはあると言うべきか。
 目の前に対峙するのはおとぎ話から抜け出てきたような、鎧の兵。見たことは確かに一度あるけど、対抗手段も対抗したこともない清香の足が動くはずもない。ただ恐れに震えるだけだ。
(死ぬのかな)
 浮かれていたから、こんなことになったのだろうか。どこか絵空事のように受け取っていたから。
 蝉の声を後ろに聞きながら、清香はそんなことを考えていた。

 金髪碧眼美少女ハーフの友人ができた。しかも性格もいいしめちゃくちゃかわいい。
 朱里と出会ったその日の夜、清香はベッドの上でアドレス帳を眺めながらにやにやと笑っていた。気色悪いというなかれ。だって素直に嬉しいのである。いや、別にクラスで一人ぼっちだとか浮いているとかそういうわけではない、一応少ないながらも友人はいるし、なんとかかんとか浮かないように尽力しながらこれでも学校ではそれなりにやっているのだ。しかしそれでも新しい友人は嬉しいものなのである。
「いい子だったなあ……」
 ――「転生ではなく兄自身があの子の中にいます」。
「いや、まあ、うん」
 清香は帰り際の衝撃発言を思い出して笑みを止める。いや本当無茶苦茶だな異世界人。常識が違うのだろうと言うのは小説なんかを読んで何となく予想ついてはいたが、朱里の中にレイの兄がいるって一体どういうことだ。趣味か。少女の中に転生するのが流行ってるのか異世界。
(まあ、レイさんも結構ぶっ飛んでるからな……、自分の世界の危機なのにユーチューバーやってんだもんな……)
 元をただせば、異世界からやってきた二人組の内よく喋るほう、レイの兄を探すというところから始まっている。曰く兄は金髪碧眼、なおかつ清香と同じ年齢で近くに住んでいるはずという条件だったので探したところ朱里しかいなかったのだ。もっと苦労すると思ったが一回でぴったり見つけられたわけではあるが。
「……」
 清香は寝ころんだままスマホをベッドの脇に置く。今日睦実は巽家には来ていないが、まじめな内容のラインがさっきからずっと飛んでくるのだ。「異世界に行くかどうか、よく考えろ」「清香はお人好しが過ぎるから、一回協力したら絶対に見捨てられなくなる」など。今日は朱里と出会って、しかも鎧兵とまで出会ったから睦実には珍しく慌てているのかもしれない。
「もー……」
 それまではお互い、用事があるときとか、何でもないときにスタンプ爆撃ぐらいしかしていなかったから反応に困るのだ。だからしばらく既読無視だ。怒ろうが知ったことか。
「そんなにダメかな」
 清香はベッドから起き上がると勉強机の横にある本棚の前まで来る。さほど多くはないが流行物の小説や漫画などが並んでいる。何冊か取り出すとパラパラめくる。最近流行りの異世界もの。レイさんはしばらく前に流行った異世界転生とか何とか言っていたが清香には違いは分からない。描かれているのは敵をも恐れず戦う姿、元の世界の商品を売りさばく姿。ほら、みんな大体普通に馴染んでるじゃないか。
「まあ、考えないといけないは、いけないよね」
 だが、自分が前世でいたという国の窮状を見せられて「お断りします」は言いづらい。
 とはいえ、しっかりしっかり考えて、決断はしないといけない。
「頭脳労働向いてないんだよー……」
 清香は一冊の小説を抱えたまま、考えの巡る頭をそのままにばすんとベッドへ倒れ込んだ。

​ 夢を見た。磨かれた大理石の長い廊下、真紅に金刺繍の絨毯。その上を懸命に走っている。
「無駄ですよ、王の龍の娘」
 凛とした、大人の女の人の声。一体何から逃げているのだろうか。しかしその声に幾ばくかの楽しさを孕んでいることが分って却って背筋がゾッとした。ここはどこだ。わからない。それでも何かが追いかけてきている。それに捕まってはいけない。それだけは分かる。
 廊下の右側には見事な彫刻を施した白亜の柱がずらりと並ぶ。その向こうに見える空は真っ赤だ。しかしそれが夕焼けではないのだろうということは容易にわかった。
「セイカ様」
 亡国の姫の名を呼ぶ妖艶な声。足が止まる。覚悟を決めて振り返る。軍人だろうかと一瞬思ったのは、すらりとした体躯に軍服を纏い、長剣をこちらに向けているからだった。長い黒髪を腰まで伸ばした真っ黒な瞳の美女である。嬉しそうに、凄いほどの笑みを湛えて近づいてくる。その笑みからは確かに憎悪を感じるというのに、何故か、――悲しい、と思った。恐ろしいでもなく、怖いでもなく、ただ「悲しい」という思いがあった。
 逃げ場はない。いや、あるのかもしれない。しかし、この人には効かない。それを知っている。
「賢明ですね。王の龍は、私には勝てませんから――」
 長剣が振り下ろされた。
 そうだ、私は●●●を止めないといけなかったのに――。​

 清香はベッドからがばっと身を起こす。ベッドの脇には一冊の小説。電灯もいつの間にか消えていて、布団が掛けられている。間違いなく自分の部屋だ。ベッドに倒れ込んだ覚えがあるが、たぶんどれだけ呼んでも起きないものだから、母が世話を焼いてくれたのだろう。若干恥ずかしくはなったものの、おかげで心臓の動悸は少しずつ収まってきた。
 スマホに手を伸ばす。深夜二時。睦実からはあれからメッセージも来てないようだ。次来た時に文句言われるかもしれないがまあいいや。ふうと息を吐いて、夏なのに何故か体が冷たいのに気がついた。
「うわ」
 パジャマが汗でびっしょりだ。殺される夢を見たのだから当然なのかもしれない。ベッドの頭の方にあるクローゼットからタオルを出して体をふき、下着と新しいパジャマの上下を出す。脱いだものを抱えつつ、足音をさせないように階段を下って洗面所へ向かう。
(そうそう、●●●を止めないといけないんだった)
 自然にそう思った。あの時、どうすればよかったんだっけ。死んでしまったからもうわからない。でも、●●●なら――。
「ん?」
 考えながら洗濯機の前までたどり着いて、そのまま足を止める。何だって?
 ぶるぶると頭を振る。今何を考えてた? 誰ならどうするって? 誰を止めるって? ていうか。
「セイカ様、殺されてたの?」
 思わずちょっと大きめの声が出てしまった。セイカが自分の前世の名前だというのなら、あの夢で見たセイカ様は長剣振り下ろされて殺されている。そんな話してたっけ。再起をはかるために別の世界へ転生してきたという話ではなかったか。
(まあ、でも、戦争だからおかしくはないのか。……殺されても)
 思いながらも足がすくむ。深夜だから余計に恐ろしいのだろうか。どうしてかそのまま、手も足も動かない。
「……清香? 起きたの?」
 そのままぼーっとしていると、しばらくたって洗面所の電灯がついた。
「お母さん」
「あら、すごい顔色。パジャマ変えたの? ……どうしたの」
「あ、いや、何でも……」
 ごまかすこともできずもごもごしていると、清香の母は安心させるようににっこりと笑った。
「この間もらったハーブティがあるのよ。お母さん苦手だから清香飲んでくれる?」
 言いながら、母はそのまま廊下の電気をつけて台所へ向かっていく。
 清香は手に持ったままだったパジャマを洗濯籠へ放り込んで座り込むと、大きく息をついた。ほっとしたのか、涙が出そうになってくる。
 ――「異世界に行くかどうか、よく考えろ」。
 睦実の言ってたことってそういうことか。

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