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遠く朽ちゆく遊園地​

 甲冑が夜な夜な歩き回ってアトラクションを楽しんでいる。そんな怪談を聞きつけて、わざわざ夜半に廃遊園地へやって来たというのに、当の遊園地はずいぶん静かでアトラクションが動く様子は少しもない。
「何だ、よかった」
 遊園地のチケット売り場の少し手前で、死んだジェットコースターを見上げながら私は安心してほっと白い息を吐く。チケット売り場から園の入り口まで一続きで掛っていた縞々の屋根は生地が所々破れていて、空いた穴からはキンと張りつめた冬の夜空が良く見えた。入り口から覗き込めば、とうに廃園なのに胸を張るようにして星明りに照らされている中央の観覧車とジェットコースターのループレーン。辺りは全く音もない。――何にせよこれで帰れる。郊外の開けた場所に置いていかれたかのようなこの廃遊園地は辺りに住宅もなく、昼でも寒いし静かで不気味だからあまり長居はしたくなかった。
「久しぶりだな」
「え?」
 踵を返し帰りかけた私の背から、一切聞き覚えのない、籠るような低い声が聞こえてきた。続いてギリギリと、この遊園地の入り口にある回転バーを回す音。そしてがしゃんがしゃんと続くのは金属同士の擦れ合うような足音と、優しげな声。
「お前だろう。以前ここで働いていた」
 ドキドキしながら振り返る。邂逅への誂え向きに、雲隠れしていた月が現れ彼の姿を逆光で照らした。ああ、やはり。金属音がしたときに、何となく予想はしていたのだ。入り口を抜けて出てきたのは、見たことのある甲冑だった。フルフェイスの金兜に赤の飾り房、青の前垂れ。腰に履いた剣の鞘が仰々しくギラギラと光る。ここがまだ営業していた頃ゲームセンターの前に置いてあった、西洋の騎士を思わせる金の甲冑。確か園長の思い付きでどこかから買って来ただけの、安物の。
「寄らないのか?」
 甲冑の騎士は金メッキであるはずの体を本物らしく輝かせながら問いかけてきた。
「……噂が気になって来ただけなの」
「ああ、それか。楽しませてもらっているよ」
 騎士は声に喜色を滲ませている。目の前に起きている異常な現象の割に私は冷静で、相手に悪意はなさそうだと分かってほっとさえしていた。
 ここは大学生の頃アルバイトで働いていた遊園地だった。潰れたと聞いたのは十年ほど前だったろうか。園長の訃報はその少し前に聞いていたから覚悟していたけど、訃報から潰れるまでが本当に早かった。その頃とうに別のところへ就職もしていたが、学生時代の思い出もある場所だったから、廃園と聞いて悲しかったのをまだ覚えている。
 まあ、あれから随分経つのに未だに取り壊しもされず放置されているとは思わなくて、聞こえてきた怪談とノスタルジーのない交ぜに思い余ってここまで来てしまったわけだけど。
(優しい園長だったなあ)
 こんな辺鄙な場所に遊園地を作る変な園長で、そして優しい園長だった。だから彼の忘れ形見のここに怪奇現象が起きていたらどうしよう、と思ったのもある。
 空に突きだすジェットコースターのループをもう一度見上げる。月に照らされたレーンの形は当時と変わらない。
「乗りたいのか?」
「え?」
 電気なんてとうに通っていないはずなのに騎士は問う。一体何を。「乗りたければ、開園準備をしようか」。そう思った途端、さっきまで死んでいたはずのジェットコースターから駆動音がして車体が走り出し、中央の観覧車には明かりが灯りだした。どこからか、聞いたことのある陽気な音楽も流れ出す。きっとメリーゴーラウンドだ。先ほどまで月に照らされていた騎士の背はさらに強い人工的な光に照らされ、こちら側に濃い影を作る。
 アトラクションが夜な夜な動くという怪奇現象の正体。騎士は自慢げに胸を張り、両掌を上に向けて見せた。
「どうだ。皆まだ現役だぞ。――ようこそ、私達の遊園地へ」
 一瞬、あまりに眩しい光に目を奪われた。恐ろしさは微塵も感じなかった。昔の遊園地の幻影が見えて、子供たちのはしゃぎ声が聞こえたような気がした。
 私は思わず足を一歩踏み出しかけ、そうして、首を振った。
「……ごめん」
「うん? 乗らないのか」
 陽気な音楽に混ざって聞こえてくるのは、経年によるジェットコースターの無理する音。メリーゴーラウンドの時折奏でる調子外れの音。
 メンテナンスなんて何年もされていない遊園地。そこにはどうしても、十年間の放置があった。
「私たち生きた人間がしっかり後始末をつけないといけなかった」
 たかが元アルバイトの私にできることなんてないかもしれないけれど。
 それでもこの廃遊園地ではしゃぐ彼らは、置いていかれて老いて壊《いか》れた人間の道具が空元気に笑っているようで、直視できない。
 人間の都合で勝手に置き去りにしてきた彼らを朽ちるままにしているのは居た堪れないような気がして、誰も訪れない遊園地を彼らに任せているのが切なかった。
 騎士は甲冑の中から苦笑を漏らす。
「よくわからないが、我々は楽しんでいるぞ。元より夢のような楽しい場所だったじゃないか。笑顔になるための場所だったじゃないか。私たちの方もそれを毎日思い出して、楽しんでいるだけのことだ。……いつか朽ちる日までな」
「……」
 心を見透かされたようで私は言葉を失う。騎士はしまったと思ったのか、慌てたように手を振ると、もう一度苦笑を漏らした。
「悲しまなくていい。それは我々、園一同が勝手にやっていることだよ。……あの頃は本当に楽しかったから。成仏するまでの暇つぶしさ。この子たちが満足するまで、私が付き合わないとな」
 その声が、亡き園長に一瞬重なったような気がしてはっとする。しかしそれを問う前に、甲冑の騎士は踵を返し、さび付いた回転バーの音をさせながら、再び入り口から園に戻っていった。明るくはしゃぐ遊園地のアトラクション達。彼らを誇るようにして、騎士はこちらを向いて手を振っている。
「また来るといい、私たちはいつでも待っているよ」
 私の罪悪感とは見合わないような幸福そうな声に、柔らかな灯りに、陽気な音楽にもどかしさを覚えながら。尋ねかけた正体に何となく察しをつけながら、無力な私は振り返らないようにして遊園地の墓を後にした。
 背後からは楽しそうなジェットコースターの、そして確実にあの頃よりは老いたジェットコースターの空を切る音がしていた。

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