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 鐘の音がする。それこそ田舎の寺から時折聞こえてくるような、低い、ボーンと響く鐘の音だ。
 それがマンションの隣室から響いてくる。夏の初めは驚きこそしたものの不思議と今は何も思わず、その低く優しい音が却ってこの青い空に合うような気さえして、思わず私はふっと目を閉じる。
 エアコンの空調音の向こうで蝉の喧しいくらいに鳴きじゃくる声、夏休みらしい子供の遊ぶ声。夏だ。
 再びボーンと、鐘の音がする。
「良い音だ」
 そう言った瞬間、外からの風が吹き込んできて、つけた覚えのない風鈴の音さえ聞こえてきたような気がした。
 視界を閉じた中でもう一度、ボーンという鐘の音が間近で響いた。

 どれほど経っただろう。ふと、何も音がしなくなった。あれほど喧しかったはずの蝉はすっかり大人しくなり、生ぬるい風が窓から吹き込んで肌を撫でた。驚いて目を開ける。
 外は夕闇。つい眠ってしまったのだろうか。
「夕飯を」
 腹が空いて立ち上がり、夕日に染まった廊下を行きながら玄関へ向かう。財布と鍵だけを手に扉を開いた。
「何だこれ」
 赤すぎる夕陽に町が染まっている。それだけではない。静かすぎた。何も音がしない。虫の声も、人の声もない。階段の踊り場からふと下を見遣れば、あれだけ渋滞を引き起こしているはずの車も一台もなければ、子供の姿もない。
 何よりも、音がない。
「……何だこれ」
 もう一度呟いたその時、再び間近でボーンという鐘の音が響いた。

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