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​継ぎ接ぎのtulipa

 飯を食ひに来いと言ふので出かけて行つた。
 出掛ける先は、昨年女房に逃げられた矢崎のところである。
「何しろ、飯をひとりで食ふのが苦しくつてね」
 日々おんなじ女房の顔を見ながら飯を食つてゐる私には到底理解の及ばぬことであつたが、矢崎の女房は大層美しかつたからさう言ふこともあるのだらう。
 何より旨いものを出すと言ふのだからのこのこ着いて行つた。
 その、のこのこ着いて行つた先で私は目を瞠つた。
「何だこれは、臺所と言ふより花所でないか」
「さう見るか」
 矢崎の臺所と食卓とを兼ねた洋風の一室は多数の鉢で埋まつて居り、またその鉢からは様々の花が伸びてゐた。
「ひとりで食ふのが苦しくつてな」
「ははあ」
 どうやら女房に逃げられた腹癒せに花を育ててゐるらしい。
 おかしなことをする男もあるものだと思つたが、花そのものは大層見事なのでじろじろ見回してゐると、とびきり赤い、何だか女のスカートを逆さにしたやうな形の花が目に入つた。
「あれは何かね」
「どれだ」
「あの真赤な、妙なのだ」
「妙なのは酷い」
 矢崎はその赤いのの鉢を両手で大事さうに抱へると、えへんと咳払ひをした。
「ボタンユリだ。英語ではtulipaと言ふ。普通に買へば随分高いが、好事家に譲られたのだ」
「妙な形だな」
「さうかな」
 矢崎は何やら得心の行かぬ顔をしてゐるが、その真赤なtulipaはやはりどうも変てこな形をしていた。
 ぶくりと膨らんだ花や触れば刺さりさうな鋭い形の葉も然うだが、何よりも茎の丁度真中辺りに切れ目がある。その切れ目を跨ぐやうにして、小さな針金のやうなもので留めてあるのだ。
 折れてしまつたのを、無理に繋ぎとめてゐるやうに見える。
 さう指摘すると矢崎は気まづさうに笑つた。
「言つただらう。随分高い」
「はあ」
「君の来る前に、茎のところをぽつきりやつちまつてね。かうして針金で継ぎ接ぎにして、体裁を整へてゐるのだよ」 
「しかし、そんなことをしたつて君、折れてしまつたのならいずれ枯れるだらう」
「さうだが、食事の間だけでも目を楽しませることができれば良からう。花の役目はさういうものだ」
 矢崎は何が悪いか理解してゐないやうで「さあ、そんなことより飯を食はう」と上機嫌である。
 かはいさうなtulipaを見ながら食ふ飯は、どこか土臭かつた。

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