第二話 かくれみの
鎧兵はレイとかの少女のところにも現れていたらしい。
二体の鎧兵をルウスがあっという間に倒してしまった後、清香はルウス、睦実と共に神社の中に走り込んだ。レイがいるとは言え、あのか弱そうな美少女のことをと思うと気が気でなかったのもある。
いた。本殿へ続く石畳の中ほどで少女は立ち尽くしている。鎧兵の姿はどこにもなく、レイはどうしてか少し離れた所で何も言わずにじっと少女を見つめていた。
清香は転がった竹ぼうきを拾いつつおそるおそる彼女に近づく。よかった、怪我はなさそうだ。しかし怖かったのだろう、震えている。当たり前だ。命の危機だったのだから。
「ね、ねえあなた、大丈夫だった? 怪我とかない?」
少女ははっと気づいた様子で顔を上げると口をぱくぱくさせて、やがて息を吐くようにつぶやいた。
「こ、怖かった……」
ぱっちりとした二重の青い目、金髪、整った顔立ちが清香を見つめる。普段なら綺麗だなと思うところだがその震えた背が小さく見えて清香は思わず彼女の背をぽんぽんと撫でていた。
「……」
少女はゆっくりと息を吐き、何とか落ち着こうとしているようだ。睦実やルウスが心配そうに彼女の顔を覗き込む中、しばらくは口を開いたり閉じたりしている。大丈夫だろうか。
「オヤ? アカリ、何かあった? その人たちは?」
「……パパ」
なおも清香が背中をさすっている内に誰かが近づいていたらしい。
「お客さんかな」
背の高いその人物は清香らの集団をぐるりと一瞥すると、不思議そうに首を傾けた。
彼の登場にアカリと呼ばれた少女は落ち着いたらしく、大きく息を吐ききってそちらに顔を向けた。
「えっと、さっき変な人がいて、みんなが助けてくれたの」
やばい、それってレイのことを差してはいないか。清香は一瞬ヒヤッとしたが、レイは何も反応がないので違うのだろう。ちゃんと鎧兵のことを言っているようだ。
「そう……それは、お世話になりました。ありがとうございます。暑いでしょう、よければ麦茶でも飲んでいってください」
宮司か神主と思しき背の高い男性。アカリがパパと呼んだ言葉に違わず、髪の色も目の色も少女と同じ金髪碧眼である。噂の外国人神主だ。とは言えその言葉遣いも物腰も日本人然としている。
レイは少々困ったような表情をこちらに向けてきた。それはそうかもしれない。あの青い鎧兵はレイやルウスの世界のものらしいし、命の危機を味わわせた手前でご厄介になるのも申し訳ないとレイなら思うだろう。何より彼女は少女であり、レイの兄とは無関係の可能性の方が高い。そしてその無関係であろう彼女に鎧兵のことまで含めて説明しないといけないかもしれない。レイが異世界だの敵だの夢物語を語る不審者で済んでいればよかったが、彼女は実際に鎧兵を見てしまった。
「いえ、僕たちはここで――」
ゆえにレイがやんわり断ろうとするのも当然だろうと清香は思う。
清香もその応援に回ろうとしたが、それを遠慮と取ったらしいアカリは却ってにっこり笑い言い募った。
「私からも、是非。家、すぐ近くなんです。……本当にありがとうございました」
きれいなお辞儀。そこまでされてしまっては断るほうが失礼だ。レイはそれでもしばらく唸っていたが、とうとう諦めたように笑い返す。
「そうですか。……ありがとうございます。では、急ですみませんがご厄介になりますね」
「ええ、是非いらしてください」
レイは覚悟を決めたような表情をしている。説明するつもりなのかもしれない。結局四人皆ご厄介になることとなり、アカリの先導で神社を出ることになった。清香はさっきまでのこともあって正直もう汗だくだ。一時鳴くのをやめていた蝉もまた喧しく鳴きはじめている。
アカリの自宅は道路を挟んで近くらしいからそれが救いだ。
夏空の下を清香もつられて歩き始め、そこでようやくはっと気づいた。
「あ、あの。ルウスさん。さっきはありがとうございました」
アカリほどきれいなお辞儀はできなかったが、清香はルウスを呼び止めてぺこりと頭を下げる。何て最低だ、命の危機を救ってくれたというのにきっちりとお礼を伝えないなんて巽家では許されない。
ルウスは清香の様子をじっと見つめていたようだったが、ゆるく首を振った。
「セイカをまもるのは、私の、役目だ。場所が変わっても同じこと」
「セイカさん? あ、私の前世の……」
「そうだ」
蝉の声の中、ルウスは夏空を見上げる。清香もつられて空を見た。枝を広げる楠の間から、抜けるような青と白い雲。太陽が燦々と照らす中彼らはしばらくそうしていた。
(何か、この感じ)
「清香ー」
遠くから睦実の声がして清香は慌てて視線を戻す。ルウスの赤茶色の瞳も、数拍遅れて清香を見た。
「空を教えてくれたのもセイカだった」
ルウスはそう言って笑う。
(空を教える……?)
空なんて、生まれたときから知っているものではないのだろうか。少なくとも、物心がついたときには。
「行こう、清香」
「あ、はい」
自分の前世だというセイカさんはいったいどんな人だったのだろう。清香は皆の方に駆け出しながらぼんやり考えていた。
少女の名は「二宮朱里」と言うのだそうだ。睦実の言っていた通りやはりここの神主の子供で日米ハーフの十六歳。清香と同じ高校二年生だが、清香なんかよりはずっとレベルが上の高校に通っている。今日のような日曜日は時々神社の手伝いをしているのだと教えてくれた。
(さて……)
麦茶はいただいてしまったが、正直、困った状況である。
(あの鎧兵が何かとか聞かれるかなあ……)
清香自身もあの鎧兵が何か知らないので困るのはきっとレイなのだが、清香も何となく気まずい。だって彼女はレイの兄の手掛りを探す途中で出会った、無関係の少女だ。
それなのに謎の鎧兵さんが現れて怖がらせ、レイが撃退するシーンも見られてしまった。
「私は清陵東高だよ。近くだね」
朱里が通っている高校を言ってくれた手前、清香も自分の通っている高校を伝える。うん、あんまり頭の良くないことで有名な高校だ。しかし朱里はそんなことおくびにも出さず目を輝かせる。
「あー、東高ですか。甲子園出るんですよね?」
「そうだよー」
何ていい子だ。清香は感動しきりだがレイはどうもまずいと思っているらしく、さっきから一言も発しない。
それどころかじっと朱里の様子を窺うように見つめている。やはり説明に困っているのだろうか。それにもしても躊躇が長くないだろうか。
ルウスはフォローしたいのか、レイと同じく朱里を見て何か言いたげにしている。睦実は当然のように傍観で、清香は何とか自己紹介で場を繋いでいる。その自己紹介も終わってしまった。やばい、沈黙がやってくる。
(場を! 打破! して!)
清香は周囲に目配せするが誰も目を合わせてくれない。畜生冷たい。何か言わねば。そう清香が頭を巡らせ始めるより早く朱里がレイとルウスに問いかけけた。
「あの……、さっきも思いましたが逆トリチャンネルのレンさんとルウさんですか?」
「ほ」
予想外の言葉に清香は目を丸くし、睦実は麦茶が気管に入ったのか咳きこんでいた。そうだ、睦実は動画チャンネル作っていること知らなかったのだ。レイが慌てた様子で肯定する。
「え、ええそうですよ。視聴者さんでしたか」
「私結構動画見てるんです。二千人達成おめでとうございます」
「朱、……っ」
「いえいえ、ありがとうございます」
レイがルウスの口を勢いよく押えてお礼をする。どうしてだろうと清香が見つめている様子に気づいたらしく、レイはゴホンと咳払いをし「失礼しました」と続けた。朱里は気にした様子もなく手を振って、考えるように小首をかしげる。
「あの、青い鎧の人たち大丈夫ですか? 撮影か何かだったんですよね。何か、急に倒れて消えちゃいまして……」
「ね、ね、熱中症かな? 暑かったもんね?」
「あー、そうかもしれないですね」
何とか話を逸らせないかと清香が朱里に振ると朱里は優しく同意してくれる。危機を脱した……と清香が思ったのもつかの間、レイは面白そうにあははと笑い出した。
「はははは。撮影ならちゃんと許可取りますよー。あれは僕たちの敵国の兵です」
「レイさん?」
「清香さん、睦実さんにも説明しないといけませんね。あれは僕たちの敵『青国』の兵隊です。塩の雨で動きが止まっているはずですし、向こうではまだ一日も経っていない筈なので、おかしいんですよね……」
「れ、レイさん?」
朱里がいるというのに説明を始めたレイに清香は慌てて止めに入る。しかしレイはしれっとした顔だ。急にどうしたというのだろう。そんなことをいきなり説明されたって理解できないだろうし、ただ巻き込まれただけの少女に説明する必要もない。清香だって初め何のことかわからなくて警察に通報しようとした。あれか、動画見ているからって視聴者サービスか。いいのかそんなサービス。
レイ以上に混乱している清香をよそに、朱里はむしろ嬉しそうに勢い込んで聞く。
「敵国……、ですか? 新しい動画シリーズですね! 楽しみです」
「動画ではなく、事実ですよ。僕たちにとっては」
「そうですよね、そのコンセプトでいつも楽しんでますよ!」
(あ、なるほどそういう、そういう切り抜け方……)
朱里は完全に動画のことだ思っているらしくあの鎧兵も撮影協力者か何かだと思ってくれたようでにこにこ笑っている。清香はほっと息をついた。どうもレイなりの切り抜け方らしい。理解はできないながらもレイは平然としているので清香もとりあえず乗っかることにした。援護射撃だ。
「に、二宮さん、動画とか詳しいんだね」
「朱里でいいですよ。えへへ、結構見る機会が多いんです」
「そうなんだ。すごいなあ、学校行きながらおうちも手伝ってるんでしょ」
「……はい、そうなんです」
(あれ?)
清香は褒めたつもりだったが、朱里は困ったように目を逸らした。どうしたのだろうと清香が思う内に、レイが一言付け加える。
「……と、まあ、そう『伝えて』おいていただけますか?」
「え、……」
(伝える?)
朱里は目を丸くする。口をパクパクと動かし何か言いたそうにした。清香もレイの意図することが分らず聞き返そうとしたが、それより早く朱里がうなずいた。
「はい、わかりました」
(今の何?)
一体何が分かったというのだ。清香に詳細は分からなかったが、聞いていいことなのだろうか。
「あ、そうだ! あの、巽さん連絡先とか交換しませんか」
朱里の笑顔の提案に清香は頷く。他校の友達なんて大歓迎だ。
しかしその前に、と清香も伝える。
「清香でいいよ。しようしよう」
朱里はそれ以上鎧兵のことについて聞くこともなく、話はだんだんと別のことに移ろっていった。
睦実だけが取り残されたように、妙な顔をしていた。
朱里に見送られて二宮邸を出る。外はすっかり夕暮れであれほどうるさかった蝉も今は声を潜めていた。
「またいつでも遊びに来てくださいね」
「ありがとう。私も、いつでも連絡して」
朱里の敬語は癖らしく結局最後までタメ口になることはなかった。
「じゃあね」
「はい、また」
清香は朱里と手を振り合って別れを告げる。四人連れ立って清香の家に戻る道すがら、レイがぽつりと言った。
「あれ、僕の兄ですよ」
「え」
この人今何て言った。同じ思いだったのか睦実も続ける。
「女の子じゃん」
「やはり朱、だろう」
理解していたらしいルウスの言葉にレイは笑って、二宮邸の方を振り返る。
「……というか、転生ではなく兄自身があの子の中にいます」
「はい?」
「何度か試してみたんですが、出てきたくなかったようですねあのクソ兄」
さっきから何一つ理解できないというのにレイは淡々と話を続ける。続けるというか、何か最後物騒な言葉言ったような。
「じゃあ、僕は朱里さんともう少しお話してきます」
「何が『じゃあ』? って、あ、レイさん?」
「僕はこれで!」
レイは笑顔を通り越したようなものすごい顔でそう言うと、先ほど出たばかりの二宮邸へ走り去っていってしまったのだった。