脚本屋
話し声がだんだんと近づいてくる。
「……よく臆せず話せるよな……京にしても紫にしても……」
「え? 悪い人じゃなさそうでしたよ?」
「悪い人どころか地獄の番人なんだけどね……」
少年の声がしないということは閻魔はもう帰ったのだろう。京は遠くに声を聞きながら判断する。
「書き上がるまでの間、ここにいてもいいしどこかに行くのもありなんだけど、どうする?」
「じゃあ、脚本読んでていいですかー?」
「いいよいいよ」
扉の前で交わされるやりとりを耳に入れながら、京は一つため息をついた。
「え、京、ずっとここにいたの?」
扉が開き、敏秋が驚いたような声を上げる。質問には答えず、困った顔を向けた。
「どうしよう。書かなきゃクビだって言われた」
「うわー……まあ、でも、それって要はいつも通り書けってことでしょ?」
「でもさ、自由って何、っていうか私の書きたいようにって何」
ぶつける相手を間違った質問。答えはいらないからとりあえず不満ともやもやした気持ちを吐き出したかった。
ほとんど八つ当たりであることを理解しながら京は言う。
「そのままだろ、京の意志で自由に好きなように何でも書けってことじゃないの? よかったじゃん、ファンできて」
「いらないっての。大体どんな願いよそれ」
からかう敏秋の言葉で、京の不快感は上乗せになっていった。
露骨な表情をしたせいか、敏秋は取り繕うように笑う。
「まあ、脚本を与えたら即叶えられる願いではあるよな。……京の書きたいようにっていうのがひっかかる?」
「正直、脚本書くこと自体がそんなに好きじゃないのに」
「そんな思い切りのいい嘘つかなくていいから」
「ホントだし。ホントに嫌だし」
見透かされていたことを認めたくなくて、京はだだをこねるような言葉を吐く。
「拗ねるな。まあ、自分の理想の人生とかでいいんじゃないか? 仮にもし京が生まれ変わるとしたら……っていう設定で」
「何でそんな面倒な……」
「え? 『書きたいもの』ってそうなるんじゃないの?」
敏秋の言葉がきっと正しいのだろう。だが京は肯定する気になれず、口を噤む。
「あと、締め切りはいつも通り七日後。で、その間、紫はここにいて本読んでるって」
「紫……?」
「いや、閻魔さんがそう呼んでたし、名前はないと不便だろ」
短絡的な名前だと思ったが、名前の重要性はわかっていたのでうなずいておいた。
「私、部屋にいるから」
「はいはい」
厄介な依頼に頭を悩ませながら、京は立ち上がった。
書きたいものを書いてください。
「書けるか」
机の上に突っ伏して、京はころころと万年筆を転がす。
書きたいもの。特にない。じゃあ、敏秋の言っていたように、自分が生きてみたい人生を書くとすればどうなるだろう。ふわふわと思考を巡らせる。
(……)
お金持ちで異性に人気もあって成績優秀でスポーツ万能、品行方正で分け隔てなく優しい性格の少女が、いい学校を出ていい会社に入っていつかは独立して社長になって、結婚は早めにして夫婦円満で、子供も生まれて、孫に看取られて大往生。毎日が順風満帆の一生。
(つまらなさそうだ)
途中で書くのに飽きてしまいそう。特に何かトラブルがあるわけではない人生。書きたいとすら思わない。
(じゃあどんなのだろう)
お金のない家に生まれて大酒飲みの父親に蔑まれ暴力を受けながら育ち、母親と一緒に夜逃げしてみれば新しい父親にも同じ対応をされ、友人や教師にもひどい扱いをされてどこにも居場所がなく不登校になり、非行の道へ走って最終的には――。
(……)
これを紫が生きるのか。思いつきはしたものの書きたくはなかった。
別に紫に何か恨みがあるわけではないし、与えたところで虚しいだけだろう。京は首を振る。
(ていうか……)
どんな脚本であれ紫は喜んで受け取るような気が、京はしていた。
「そういえば」
今までって、どんな脚本を書いていただろうか。
「酷い脚本だったってのは覚えてるんだけどな……」
一番初めに書いた脚本が一番酷かった。ともかく書き上げることに精一杯で大して内容も吟味せず適当な話を書いていたような気がする。
(子供だったし)
死んだ後、何も分からないままここに連れてこられて、人生の脚本を書けと言われた。敏秋に言葉を教えてもらいながら、何とか書き上げて、それを繰り返して、繰り返して、繰り返した。
いつの間にか、敏秋の手を借りなくても書き上げられるようになった。そしていつからか、相手の願いをしっかりと聞いた上で、見合った罰を与えようなんて考えるようになった。
そして最終的には、ここに来る魂たちが嫌になっていた。
「脚本通りの人生が楽だと思わないでよ」
誰に対してでもない言葉を、苦々しく吐き捨てる。
(望みを簡単に叶えられると思うなバカが)
だから、二度とそんなやつがここに来ないよう、酷い脚本を書くようになった。相手に恨みがあるわけではなかったけれど、ひたすら金や異性や成功を、「願い」を口にする魂に嫌悪感を抱くなと言われても京には無理だった。
「書きたくない」
紫には書きたくない。罰にもならない脚本を与えたくはない。
正確には意志形ではなく可能形だと分かっていたが、それは口にしなかった。
「……」
考えていても仕方がない。適当に昔の脚本の中から合いそうなものを選ぼう。
立ち上がると、京は物置へと向かった。
「静かに読めるんじゃん」
扉を開けて、京は嫌みとも感想もつかない言葉を呟く。
「興奮しても読めますよ!」
「知ってる」
嫌みはどうやら意味がないらしい。
「……面白い?」
「はい! とっても!」
随分熱中して読んでいるようだ。魂がページを繰るのは結構な力を使うはずだが、既に読破済みと思われる脚本が数冊、分けて置いてあった。
京は小さくため息をつき、紫に近づいてページを繰ってやる。
「ありがとうございます」
感謝の言葉に返事はしなかった。
京自身も脚本に目を通しながら、参考に出来るところはないかと探す。
「厳しい悲劇が多めですよね」
「あまり縁がないでしょ」
「ないですー」
穏やかな口調から、何となく育ちの良さが感じ取れた。きっと、自分とは対極にいる魂だ。穏やかで幸せな人生を送ってきたのだろう。
何でこんな場所に来たのか。どうして帰ってくれないのか、京は不思議でたまらなかった。
「京さんはやっぱり、脚本を書くのが好きなんですか?」
「別に好きではないけど。与えられた役目だからこなしてる」
紫と違って、自由はない。脚本屋という役目を与えられたからただ従って書いているだけだ。そしてただそれを繰り返しているにすぎないと京は自覚していた。
上司が閻魔である限り、従うしかない。自由も意志も、脚本屋では奪われる。ここでいろんな魂に出会いながら、敏秋と共に日々を過ごすだけだ。
(自分も……)
京自身も、閻魔の脚本に沿って動いているようなものなのかもしれない。
「そうですかー」
分かっているのかいないのか、紫は再びページをめくるよう催促した。
どうやらソファで眠ってしまっていたらしいと敏秋が気づいたのは紫がやってきた翌日だった。この世界は日にちの感覚が保ちづらくていけない。
起きあがり、やけに静かな京の部屋の前を通り過ぎると、物置へと向かう。漂いながら懸命にページを繰る紫。こちらが見ていることにも気づいていないようだ。
「敏秋さん」
「ん?」
しばらくして、紫は脚本もそのままにふわふわとこちらへ寄ってくる。
「京さんって、本当はいい人ですよね? 何で脚本がちょっと意地悪なんですか?」
ちょっとどころじゃないだろうと敏秋は思ったが、口には出さないでおいた。
「んー、ずるいって思うんじゃないかなー」
本人は絶対に認めないけれど、京は魂たちを羨んでいるのだと思う。彼らは生きることを、脚本を選択できるからだ。
それがずるいと感じるから、京は自由を奪う。でもそれじゃ飽き足らないから、酷い人生を歩ませる。しかしそうした人生さえも、彼女は羨望のまなざしで見つめている。少なくとも敏秋自身はそう観察していた。
「ずるい?」
「京は別に、元からこの店の主だったわけじゃないんだ」
今でもよく覚えていた。初めて会ったのはここで、そして、この場所の時間に換算するなら十年ほど前だ。
敏秋の膝丈までくらいしかない小さな女の子。それなのに目は虚ろで、唇を堅く引き結んで、明るさも無邪気さもない子供だった。
「閻魔さんに聞いた話だけど、前世で酷い目に遭ったらしくて。八歳まで自由のない座敷牢」
「八歳からは」
「八歳が享年だよ」
できるだけ何でもない風を装って敏秋は告げた。
紫はぴたりと静止して、堅い声で聞く。
「ご病気か何か……ですか?」
「ううん、治水の人柱」
少しだけごまかした。人柱に「された」のではない。京は、人柱になる運命で生まれてきたのだと聞いていた。
もっと正しく言えば、人柱にするため孕まされた子供。敏秋はそう聞いていた。
「ちゃんと生きられなかったことがショックだったみたいで、大きな恨みを持って死んだ。……閻魔さんはそこに目をつけて、この店を任せた」
自由のなかった魂に、自由を奪う店を任せた。
生きることに恨みを持っている魂ならば、罰を与える役割にふさわしい。だからここを任せて、脚本を書かせ続けている。
(宿した子供が人柱になったのなら救いようもあったのに)
もし生まれる前だけでも自由があれば、愛し合った末に宿った命であれば、閻魔もこの店を任せなかっただろう。
京の母親は、たまたまお腹の中にいた子供を人柱に差し出したのではない。人柱にする予定で子供を作って差し出したという。
名前もつけなかったと聞いている。生活が大切だったのだろう。京は人柱の為に作られ、人柱として生き、人柱として死んだ魂なのだ。
「京は、自由のある魂が羨ましくて、悔しいんだと思う」
だからといってひどい脚本を書くことが正しいのかと言われれば敏秋も返事に窮する。
しかし、ここは強欲な魂に罰を与える閻魔の直営店。理不尽なのは仕方ない。京でなければここはつとまらないのだろう。
(……)
京が恨みを捨てて更生してしまっては、ここにいられなくなる。そのことも、その別れが寂しいことも敏秋は自覚している。
しかしそれでも何か手はないかと、ずっと探し続けてもいる。敏秋はそのまま、紫の光に目をやった。
「そうなんですかね……」
紫からは中身のない返事が返ってきた。何かを考えるように空中でしばらく静止し、弾かれたように上昇する。
「ちょっとだけ、散歩してきますね」
「あ、うん」
敏秋は頷くと、紫の光を見送った。
「これで少し、京も変わってくれるかな」
小さく敏秋はつぶやく。
(俺にはできない)
彼女の生い立ちを考えると、敏秋には今の生き方をどうこう言えそうにない。
それ以上に、干渉することはできないのを敏秋は知っていた。ためいきをついて、部屋に戻ろうと体を動かした。