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脚本屋

「……」
 京は言葉が出ないようだった。
「……」
 そう冷静に観察している敏秋自身も、どう声をかけていいものか困り、ただ物置部屋で突っ立っているしかできなかった。
「きゃー! ここで終わるの? 続き、続き気になるんだけど!」
「いや、続きも何も、そこで人生終わり……」
 魂のために脚本を取り出してやりながら、京は気疲れした声を出す。奥にある書棚は久しぶりに空の部分ができていた。
 少々疲れている京の様子に気づいているのかいないのか、魂はくるくると回ったり、上へ下へと飛び回ったりと忙しない。
「でもこの話ちょっと悲劇的ですよねえ……なんか前半のちやほやされっぷりが嘘みたいで……でも面白い」
「あーそー」
 相づちにも疲れたのか、ほとんど感情の入っていない声で京は返事をした。
「どうやって考えるんですか? こういうの」
「いや、適当に……っていうか大体は類型的な話……」
 ここに依頼にくる魂の願いというのは、大体が似たようなものだ。一つはお金、一つは異性、一つは権力あるいは名声。そのあたりがトップスリーを占めている。
 固執するものが似ていると、自然、辿る末路も同じようなものになる。だから京は類型的な話を繰り返し書いていた。
「でも、本当にうらやましい……物語の中に入れるなんて! 京さん、私にもお願いしますね!」
「転落人生が羨ましいの?」
 京は眉を寄せ、理解できないとでも言うような顔を見せる。
「だってこの人、何だかんだ言って最後はハッピーエンドじゃないですか! 自分の事業は失敗しちゃったけど、途中で奥さん戻ってきてるし、孫もいるし!」
「……え、本当?見せて見せて」
 敏秋は脚本に近づき、ぱらぱらとページを捲ってうなずく。
 京にしては随分と幸せな内容だ。久しく見ていなかったもので、新鮮味さえ感じた。
「あ、それ、結構昔に書いたやつ……っていうかあんたは向こう行け!」
 京は苦々しい顔で敏秋を追い払う。久々に見た年相応の反応がどこかおかしく、敏秋は笑いをかみ殺した。
 何か言おうとする京を、魂の声が遮る。
「……決めた! 決めました!」
「何を?」
 もしや、願いが決まったのだろうか。そう思って見やる二人の前で、紫の魂はくるくると回転してみせる。
「京さん、私に絶対脚本書いてくださいっ! 京さんのストーリー、私、好みです」
「いや……えー……だから願いを言ってほしいんだけど」
「何でも良いです! 自由に書いた脚本で構わないです」
「……」
 京はしばし呆然とする。敏秋はその様子を見て小さく困ったように笑った。
「大体が願いを受けて書くんですよね? だったら京さんが書きたいように書いたものも見てみたいです!」
 店の意図とずれているが、これはこれでおもしろそうだと敏秋は心の底で思う。
 京は対応に困ったのか脚本を取り出す手を止めて、気疲れした顔で書棚を指差した。
「……読んでていいから、しばらく考えさせて……」
「ありがとうございますっ!」
「すげー、京が負けてるー」
 こっそり、本人は聞こえないような小声で呟く。
「敏秋」
「何でございましょうか?」
 聞こえてしまったのだろうかと、思わず敬語で問い返す。
 京はさして気にした様子もなく、同じような小声で疑問を発した。
「あの魂、何しにきたの?」
 顔にはしっかり呆れが浮かんでいる。
「……本、読みに来たんじゃないかな?」
 京は大きなため息を吐き、魂を見据えた。
「ほら、ふらふらーっと、立ち寄って道を聞く魂は今までいくつかあったし……」
 敏秋の言葉に頷く。
「でも今までにないパターンじゃん……ってわけだからとりあえず敏秋、閻魔えんまさんのところにパシられて」
「何だその新たな活用形」
「わかった。パシられやがれ雑用」
「進化した」
「うるさいとっととパシられろ」
 命令形としては少し間違っているような気もしながら、敏秋は玄関へと向かった。
 ぱたんとドアの閉まる音が少し響いたが、気にも留めないのか聞こえていないのか、騒ぎながら魂は脚本に目を通している。
「あのさ、何でそんなに本に拘ってるの?」
 嫌みでなく、京は純粋な疑問を口にした。
「え? 私、本ばかり読んでいたんですよ。小説とか、童話とか、漫画とかストーリー系の。だから親がよくいろんな本を買ってきてくれて……」
「ふうん」
 京は興味なさそうな相づちを打つ。
「ずいぶん恵まれた人生だったんだね、羨ましい」
 口をついて出た言葉は自分でも驚くほど冷たかった。
 言い過ぎたような気がして俯いたが、魂はさして気にした風もなく、再び興奮しながら脚本に目を通す。
(……)
 却って痛む心など気にしないようにして、京は心の中で毒づいた。
 脚本通りの人生などを垣間見て、何が面白いというのだ。初めから終わりまで全てが決め事、言ってしまえばただ舞台の上で無理に踊らされているようなものだ。
 自分の意志など反映されはしない、ただ誰かに動かされるままの人生。つまらないことこの上ない。誰かによって自分の生も死も操作されるだけ。
 余計なことまで考えたせいか息が詰まりそうになり、気持ちを吐き出すかのように小さく息をつく。
「けーいーちゃん、あーそーぼ」
 途端、気の抜けるような高い声がすぐ傍から聞こえてきた。
 扉から顔を半分だけ出しているのは小学生くらいの背丈しかない少年。
「……あーとーで」
 短めの黒い髪に黒い瞳と、その色味はそう京と変わらない。
「呼びつけといてそれはなくないー?」
 不満そうに口を尖らせる幼い仕草からは、誰も彼が地獄を仕切る者だと判断できないだろう。
「別に閻魔さんと遊びたくはないんです、困ったことを相談したいんです」
「えー? でもさー……別に店が壊れたわけでもなければ京ちゃんがヒステリー起こしたわけでもないみたいだしー……あれ? なんなの?」
「えーっと……」
 ここでは少し言いづらい。
 閻魔は騒ぎながら脚本を読み漁る魂の様子を見ると、微笑みを浮かべた。
「あれ、変わった子がきてるね。紫色だー、久々に見たや。元気でいいねー、可愛いー」
「とりあえず、ここじゃ何なので」
 閻魔と一緒に帰ってきた敏秋へと視線を遣る。
「口で言え。……この部屋居たらいいんだな?」
「口で言わなくても分かってるじゃん」
 屁理屈を口にしながら、京は閻魔を連れて物置から出ると、応接室へと向かう。
「何か、何となく困ったことはわかるような気がするー。あの紫ちゃんに手を焼いてるのかな」
「あんなハイテンションの相手はできません」
「差別はいけないよ! で、そんなに困ってるの?」
「願いのない魂なんです。それなのに書いていいのか」
 応接室の扉を開けた。閻魔は勢いよく飛び込み、そのままソファに腰掛ける。
 テーブルに肘をつき、冷静な目で京を見上げてくる。
「ちゃんと脚本屋のシステム説明したー? してなくて勝手に書いたら僕が極楽から怒られるんだけどなあ?」
「しました、何ならもう一度説明したいくらいです」
 京も閻魔の正面に腰掛ける。
 意外な答えだったのか瞠目すると、閻魔は勢いよく背もたれにもたれかかる。
「へえ……じゃ、願いがないってどういうこと?」
「そのままです。その、システムを説明した後に、『私に脚本を書いてほしい』と言ってきて……内容は何でもいい、物語の主人公になれるなんて面白そうだ、と」
「面白い子だねえ。え、意志取るよって言ってそれ?」
 おかしくてたまらないとでも言うように軽快な笑い声をあげる。
 何故か閻魔の笑い声を不快に感じ、京は無愛想な顔でため息をついた。
「で、強いて挙げるなら私が『書きたいように書いたものが見てみたい』だそうですよ」
「ああ、なるほどー。じゃあ書けば?」
「は?」
 軽く言い切った閻魔に、京はあっけにとられた顔を返す。
 その反応が意外だったのか、今度は閻魔があっけにとられた顔をした。
「だって、その子の願いが『京ちゃんに脚本を書いてもらうこと』なんでしょ?」
「はい」
「願いないわけじゃないじゃん。書けばいいよ、京ちゃんの書きたい脚本。そんぐらいで僕怒らないよ」
「……」
 真っ正面から告げられた正論に京は続けるべき言葉を失う。そうするしかないとどこかで分かってはいたが、まさか肯定されるとは思っていなかった。
 どこか納得がいかない。もしかしたら自分は否定してほしかったのかもしれないと京は思った。
「もしかしてこんなつまんないことで魂逗留させてたのー? 僕も忙しいのー、仕事増やさないでよー」
「あーそーぼって言ってたじゃないですか」
「遊ぶ暇はあるけど仕事する余裕はないんだよ」
「意味が分かりません」
 閻魔は再びテーブルに肘をつき、京を見上げる。
「情熱の違いだよ。……で、何をはぐらかしてるの? もしかして書けないの?」
「……」
 京は再び言葉を失い、黙り込む。今度は驚いたためではない。
(書けるわけないじゃん)
 図星だったからだ。
(今までどう書いていたか知ってるくせに)
 いつも、依頼人の願いからヒントを得て人生を構築していた。しかし今あの魂に告げられている願いは、何のヒントも示してはいない。
 まっさらな状態から一人の人間の人生を構築し、自由に書けというのは無理な注文だ。そもそも「自由」など京は考えたこともない。
「大体、願いって、来世で叶えたい願いのことですよね?」
 書けないとは口にせず、正当性のありそうな言葉を並べる。
 来世の利のために代償を支払ってもらうことで、契約は成り立つ。それに該当する願いを持たないあの魂の脚本を書くのは違反になるはずだ。
「うーん、細かいことはいいじゃない。特別に許可するよ」
「……欲のない魂から自由を奪うことに抵抗もありますし」
 これは実際の気持ちでもある。あんな魂に来られたって困るのだ。
「ですから……」
 どうしても閻魔の口から否定の言葉を引き出したくて食い下がるも、閻魔は肯定を続けるばかりだ。
「脚本を書いて欲しいっていうのが欲じゃない。あと、依頼断ったら絶対だめだからねー、願いを叶えるって銘打ってるんだし」
 めんどくさそうな口調で、何が問題なのか分からないと言わんばかりの言葉。
 いつもならどうでもよさそうな細かいことにさえいちいち小姑のごとく注文をつけてくるというのに、今回は興味がないのか単に面倒なのか、相手にさえしてくれない。
「大体さあ、何も毎回ひどい人生を書かなくていいんだよ? 脚本を与えることそのものが罰なんだし」
「その罰を与える理由が見あたらないんです。あと罰を喜ぶ魂に与えてそれは罰になるんですか」
 その場で作り上げた言い訳は四つ目になっていた。劣勢だとわかっていても、どうしてか食い下がらずにはいられない。
 本当は罰だ何だというのはどうでもいい。ただ、あの魂から遠ざかりたいとどこかで思っていた。
「紫だし、妙にハイテンションだし、何て言うか今まで来てた魂とは違うし」
 あんな幸せそうな魂の近くに居たくない。書きたくないというのが分かって欲しくて、少し苛立ちながら言葉を羅列する。
 京の苛立ちが伝染したのか、閻魔は眉を寄せてわざとらしく息をついた。
「なんだよもー、書かないの? もういい、書かないならクビ、書くのが仕事なんだし放棄したらクビっ」
「な……」
 あの魂を否定する言葉を望んでいたのに、吐き出されたのは自分を否定する言葉。
 クビだなんて、この十年の間で初めて聞いたかもしれない。動いていないはずの心臓が痛くなったような気がしながら、動揺を悟られないように努めて冷静に振る舞う。
「えーと……それ、私どうなるんですか」
「しーらない。言うこと聞かないと地獄の中で迷子にしてやる」
「迷子……?」
「もしかして血の池地獄と針の山がおとぎ話だけのものだと思ってる?」
 閻魔の顔にはまだ怒りが残っている。よけいなことを言ったと今更肝が冷えてきた。
「ちょっと待ってください、本気でクビとか迷子とか言ってるんですか?」
「本気も本気超本気」
「すいませんでした」
「うるさいよ。いいから書いて、書かなきゃクビ、撤回はしない」
 その場の勢いに任せた言葉だろうと思っていたが、どうやら閻魔の逆鱗に触れてしまったらしい。
 京の背筋に汗が流れたような気がした。言葉を紡げずただ口だけをぱくぱくと動かす。
「すいませーん、今大丈夫ですか?」
「はーい」
 扉の向こうから聞こえてきたのは、敏秋の声。閻魔はころりと表情を変えると、扉の方へ向かう。
 京は真っ白になった思考のまま、ただ音のする方を振り返った。紫色の光と、敏秋の姿が目に入る。
「あのー、閻魔さん、ついでっちゃあ何なんですけどー……引き取ってほしいものがあって」
「あ、そうだそうだ。今どの部屋にいるの?」
「こっちです」
 京はただ声が遠ざかるのを聞いているしかできなかった。

「いたいたー」
 敏秋が案内したのは奥の部屋。その部屋の中央には、輝きを失った白い玉が浮かんでいた。
 動く様子もなく、ただ空中で停止しているだけの様子に興味を持ったのか、紫の魂はふらふらと近寄っていく。
「あのー、この方、大丈夫ですか? 動かれませんけど、救急車とか……」
「紫ちゃん興味津々? 救急車はいらないよ」
「むらさき……?」
 きょろきょろと辺りを見回すかのように魂はくるくると回転する。
「君だよ。色が紫だから紫ちゃん。いい色なんだよー、紫って」
「魂の色だよ」
 敏秋は横から口を挟んだ。納得できたのか、紫は真っ白な魂の元へと近づいていく。
「この人は白なんですね」
「うん。赤はいないけど……紅白でおめでたいでしょ。明日生まれ変わるから僕が連れて行くの」
(違うでしょうが……。その人朝は黄色でしたよ)
 今の閻魔の言い方だと、まるでもともとの色が白であるみたいだ。
 でも口を挟んで指摘したらきっと嫌な笑顔が返ってくるだろうから中途半端な笑顔のまま黙っておく。
「そうなんですか……でもあのー、さっきから固まってらっしゃいますけど、大丈夫なんですか?」
「ちょっと緊張しちゃってるんだよ。シャイだよねえー」
 すらすらと嘘を並べて、穏やかに会話をする。和やかな雰囲気の中、一人敏秋は気を揉んでいた。
 閻魔に物怖じせず話している紫の言動もそうだが、閻魔が紫を気に入りはしないか気が気じゃない。口を挟むネタを考え、ふと思い出す。
「あ、そうだ石も……」
「もう勝手にもらってきた。テーブルの上に置いてたし」
 閻魔は黄金色の石を敏秋に見せる。
「あの、それー、どうするんですかー?」
「意志のこと? 僕が一時預かりさんになるの。また生まれ変わって、こっちの世界に来たときに返すよ」
「なるほどー、じゃあ意志とられるからってそんなにびくびくする必要ないんですねー」
「そうそう、安心して置いていって良いよ」
 爽やかな笑顔で言い切る閻魔に、敏秋はため息をついた。
「じゃあ、この魂はお任せしますね」
「うん。また何かあったら連絡してねー」
 子供のような笑顔で閻魔は頷き、敏秋と紫が部屋から出るのを見送った。
 完全に扉が閉まると、反応のない白の魂に向き直る。
「ねえ、面白いこと教えてあげようか」
 静かな部屋に声が響いた。
「僕、脚本屋に罰を与えるつもりなんだ」

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