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 この小間物屋は日用品をまんべんなく扱っているようだったが、その中でもかんざしの鮮やかさが目を引いた。
 聞くと、かんざしに関してはこの店の主人が手製で作っているのだという。
「奈津に無理やり連れてこられちまったんだろう? 本当に申し訳ない」
「いえ、こっちもご厄介になるんで」
 千代は店の主人に頭を下げる。
 庭に千代、庭に面した縁側に藤志郎、そして畳の部屋には小間物屋の主人と奈津が座していた。
 主人は苦笑して首をかしげる。
「こんな小さな番犬に、妖怪退治なんて難しいだろう。店を手伝ってくれるなら部屋くらい貸してやるし、退治なんて、なあ……」
「何言ってんだよ。撃退してもらわなくちゃ困るだろうが」
(優しいんだなあ)
 おっとりとした主人と、てきぱきした女将とで釣り合いが取れているようだった。
 微笑ましいやり取りを見ながら、千代は気になっていたことを聞いてみる。
「その、どんな妖怪が来るんですか?」
「店の商品を壊しちまうんだ」
 奈津が大仰に嘆息した。
 ちろりと、藤志郎が一瞥する。
「うちの看板商品はかんざしなんだけどね。宗助そうすけが、……旦那が昼に作るだろう、そしたら夜に全部全部妖怪が食っちまうんだよ」
「かんざしを……」
「良い商品だからね。まあ、私は挿さないんだけど」
 奈津は自分の頭を撫でる。髪はまとめて結ってあるが、言葉のとおりかんざしは挿していなかった。
(何でだろう?)
 看板商品なら自分もつけていた方が宣伝にもなるのではないかと千代はいぶかしむ。
 ちらりと宗助が奈津に目をやった。
「いずれ、奈津が納得いくものを作って、挿してもらうのが夢なんです」
(ふうん)
 奈津はどうやら宗助のかんざしに納得していないということらしかった。
 ああも鮮やかなのになぜだろうと思ったが、立ち入りすぎてしまう気がして、千代は口に出さなかった。
 ただ、にこにこと笑う宗助と、苦笑している奈津の表情が印象的だった。
「でも、そんなに力を入れてる商品なら、困りますよね」
 危害を加えられるというわけではなさそうだが、看板商品が全てなくなってしまっては商売あがったりだろう。
 宗助は苦笑しながら頭をかいた。よく見ると、あまり顔色もよくないようだ。
 藤志郎が宗助に目をやりながら聞く。
「……妖怪という根拠は?」
「じゃあ何か、人間がかんざしなんかを食うって言う気かい」
 奈津が先に答えた。
 宗助は困ったように告げる。
「まあ、その、食ってるかどうかは分からないんですけどね。泥棒かもしれませんし」
「いや、妖怪だね」
「そうかなあ……」
 どうやら奈津の方が妖怪退治に必死であるらしい。
 店の主人である宗助の方は、妖怪の仕業であるという主張すら信じていないように見えた。
 人のよさそうな笑顔で、宗助は千代と藤四郎を交互に見る。
「俺としては、店を手伝ってくれるだけでも充分なんです。店先に立って、呼び込んでくれるだけでいいんで」
「……なるほど、わかりました」
 呼び込みの仕事であれば、千代にもできそうだ。
 千代がこくんと頷くと、宗助は気づいたように手を振った。
「ああ、千代ちゃんは番犬として、いてくれりゃあいいよ」
「いや、私も手伝います」
「ったって、どうやって」
 きょとんとした表情で聞いたのは奈津だった。
 確かにこの姿のままで手伝うというのは奇怪に見えるだろうと思い、千代は藤志郎を仰ぎ見る。
「藤志郎」
「どうした」
「薬をくれ」
「……仕方あるまい」
 どうやらあまり気乗りはしていないようだったが、藤志郎は懐から薬包紙を取り出した。
 包みの中から出てきたのは灰色の丸薬。
 千代は一粒を舌に乗せるとごくりと飲み込んだ。
 奈津と宗助が興味深そうに千代を見つめ、藤志郎は不機嫌そうに眉根を寄せる。
 その白い体毛が足先からするすると消えていくのを千代自身も確認し、やがてすっくと二本の足で立った。
「これでどうでしょう」
 千代の体は齢十五、六の少女に転じていた。
 あどけない表情に、背まで伸びた白い髪。その青い瞳くらいしか元の姿と似通った部分がない。
 少し丈の短い小袖と裸足の姿がみすぼらしくはあるが、この状態で店先に出ても、正体が犬であるとは誰も気付かないだろう。
 宗助も奈津も口をあんぐり開けて、呆けているようだった。
 たっぷり時間をおいてから、宗助がようやく言葉を絞り出す。
「はあー、人間の姿になれるのかい」
「短い時間だけですけどね。藤志郎はあまり店番とか得意じゃないから」
 人の姿でいられるのは、長くても半日くらいだ。
 それに、一日一度までと決められているから、今日は変化が解けてしまえばもう人の姿にはなれない。
(早く完璧になりたいけどなあ)
 なかなか、完璧に人の姿でいられる薬を、この自称薬師は作ってくれないのだ。
 千代は少しばかり恨みに思いながら藤志郎に目をやるが、当の本人はこちらに興味がないらしく、庭先を見つめていた。
(変態め)
 常軌を逸した犬好きなので、人の姿の千代はあまり好きではないのだろうと、憶測する。
 千代を上から下まで眺めながら、奈津が言った。
「ふうん。どうせなら、もうちょっと華やかにした方がいいだろうね。おいで、着替えもあるから」
「えっ、い、いいんですか」
 千代は思わず聞き返す。
 今まで華やかな衣装を身にまとったことなどないから、奈津の言葉に心が躍った。
 そわそわと落ち着きない千代を連れ、奈津は奥の間に引っ込む。
 ぽつんと、藤志郎と宗助だけが残された。
「いつからかんざしを作っている」
「え? ああ、そうだねえ、大分昔からだ」
 藤志郎に問われたのが意外だったのか、宗助は戸惑いながらも答える。
「……いつまで、作るんだ」
「そうさなあ。奈津が笑ってくれるまでかなあ」
 気恥ずかしい台詞を、宗助は笑いもせずに口に出した。
 その眼はどこか遠くを見ているようだった。
 藤志郎は大きく息を吐き、再び庭先に目をやる。
「離れられなくなってしまったか」
「いつまでも一緒にいたいもんだよ。あんたもそうだろう」
「俺は」
 藤志郎が答えかけた時、奥の間の襖が開いた。
 千代は鮮やかな藍染の着物を身に纏い、花かんざしを頭に挿している。
(ちょっとだけ、頭が重い)
 今まで髪を結ったことなどほとんどなかったから、千代は少しばかり気恥ずかしかった。
「似合う似合う、可愛いじゃないか」 
「あ、ありがとうございます」
 宗助に褒められて、千代は落ち着きなく視線をさまよわせる。
 奈津に見せられた鏡には若い娘が映っている。千代はまるで自分が人間になったような気さえしていた。
「何か、手伝わなきゃいけないのに申し訳ないというか」
「そんなの気にしなさんな」
 千代は照れながら笑ってみせる。
 藤志郎は千代を一瞥すると、かんざしに目を留めたようだった。
 褒めるでもなく、それどころか怒ったような表情で千代に告げる。
「千代。そのかんざしは外せ」
「は?」
 楽しい気分に水を差されたのと、何よりも予想外の言葉が飛び出してきたのとで千代は面食らう。
 せっかく人の子のような姿をしているというのに、何てことを言うのだ。
 文句をつけてやろうと思ったが、藤志郎の表情があまりにも真剣だったので千代は口をつぐんだ。
「いいから、外せ」
「何てことを言うんだ。うちの商品に文句でも……」
 千代の代わりに奈津がいきり立つ。
 険悪な雰囲気に、宗助が割って入った。
「ああ、まあまあ。外せというなら、外してやりな。……うちのかんざしも、完璧ってわけじゃないんだから」
「そんなことないです、きれいだと思います。可愛いし。藤志郎、商品に何ケチつけてんだ」
 商品を扱う人の前でこうも無礼を働くとは思っておらず、千代は狼狽する。
 恥ずかしさと戸惑いと怒りとで、うまく思考が働かない。
 何よりも今の姿が似合わないと言われたようで、千代は不愉快だった。
「……」
 ぎっと藤志郎を睨みつけるが、千代のかんざしから目を離す様子はなく、千代は急に不安になる。
 宗助がとりなすように笑った。
「まあまあ。それより奈津、仕事を教えてやんなよ。俺は奥で、いろいろ作ってるから」
「……あんたがいいならいいんだけど……」
「構わんさ」
 宗助はそう言うと、奥の間へと引っ込んでいく。
 襖が閉まった後も奈津は怒りが収まらないらしく、藤志郎に食って掛かった。
「何なんだい、あんた。うちの商品にケチつけたりして」
「分かっていて聞くのか。あれにしても、いつまでそのままにしておく気だ。取り返しがつかなくなるぞ」
「……何のことやら」
(……?)
 藤志郎の言葉で奈津が一瞬うろたえたのを千代は見逃さなかった。
 奈津はふいと藤志郎から目をそらすと、静かになった場を取り繕うように千代の髪を撫でた。
「千代ちゃん、ごめんね、一旦外そうか。またつけたくなったら、いつでもお言いよ」
「はい。何か、その、ごめんなさい」
「あんたは素直だねえ」
 その場に座りながら、心底感心したように奈津は告げる。
 千代も奈津の前に座った。髪を解かれながら、ちらりと藤志郎に目を向ける。
(……仕方がないか)
 藤志郎が頑強に主張するときは、言っても聞かないのだ。
 何より、理由がなければこうもこだわることがないというのも、今までの付き合いでわかっていた。
 だから恐らく何らかの理由があるはずだと考えて、千代は自分を納得させる。
(頭が軽くなった)
 かんざしが外されて、長い髪が落ちてくる。
 奈津が髪をまとめて、小さな団子を作ってくれた。動きやすそうだし、この髪型でも問題なさそうだ。
 そう思って千代が立ち上がると、奈津は大きく息をついた。
「とりあえず外に立って、適当に女性に声をかけてもらえればいいよ。私は中にいるし、商品の説明なんかは私がするから。……あんたの顔なら捕まえられるだろう、期待してるからね」
「……外で……和気藹々と話……か」
(何でこいつ若干泣きそうなんだよさっきめちゃくちゃ不遜な顔してたろうが)
 この世の終わりでも来たかのようなものすごく暗い表情をしている藤志郎に不安を覚えながら、千代は店先に立つことにした。

 

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