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 昼下がりの往来は人通りが多い。
 何より、この辺では見ない顔が二つも並んでいるから、随分と目立っているようではあった。
「藤志郎、仏頂面はさすがにどうだと思うぞ。笑え笑え」
「……人と会話し友誼を深めるような協調性が俺にあるとでも思うたか!」
「威張んなよ」
 少し涙目になっているようにさえ見える藤志郎に千代は白い目を向ける。
 通りゆく女性は、藤志郎の立ち姿を随分と気にしているようだった。
 中には、黄色い声を上げて、店に入ってくれる二人連れなどもいる。
 声をかけずとも、いるだけで宣伝効果があるようだった。
(きれいな顔してるもんなー、中身ダメだけど)
 他意なく、純粋にそれだけを思う。
 鮮やかな着物を着た女性が遠巻きに群がっているが、当の本人は気にした様子もないようだった。
(赤、緑、……あれは鶴の柄かな)
 女性たちを見ながら千代は考える。
 きれいなのは藤志郎だけではなく、こちらを見ている女性たちもだ。
「どうぞどうぞ、いらっしゃいませー」
 ぼんやりと考えながら、千代は笑顔で呼び込みをする。
 店に入っていく女性たちは、みんなきらきらと輝いて見えた。
(着物もかんざしも、草履も)
 今日は千代もめかし込んでいるが、やはりこれは借り物だ。
 きれいな着物を着られたことが嬉しくはあるけれど、長くても半日で終わってしまうことが少し寂しかった。
(早く人にしてくれよ)
 中途半端に、薬で許された時間にだけではなく、当たり前のようにお洒落をして、街を歩きたい。
 四足ではなく、二本の足で立ちたい。
 こうして人と同じ目線になると、千代はいつもこうして自分の願いについて考えてしまう。
 今は仕事中だと頭を振ったのとほぼ同時に、藤志郎が指摘した。
「千代も顔が引きつっているではないか」
「いいからお客さんに話しかけて呼び込みしてくれ。……あと、早く人にしてくれ」
 千代が後半をふてくされたように言うと、藤志郎は考え込んだ。
 店先に出してあった華やかなかんざしを手に取って、小さくため息をつく。
「こんなものがいいのか」
 どうやら、千代が何を考えているかが分かったらしい。
 何だか、随分と馬鹿にされたような気がした。
「だーかーら、商品になんてこと言うんだ藤志郎。とりあえず今はだな……」
「あ、あの……」
「あ、はい! いらっしゃいませ!」
 若い女性の声に、千代はすぐに表情を作り変える。
 笑顔で振り向いたものの、女性は千代の方を見ていないようだった。
「えっと、藤志郎様とおっしゃるんですか……?」
「……ああ」
(あーあ)
 流し目をくれて、声まで低くし、完成するは色男度三割増しの藤志郎。
 元来整った顔だから、効果はてきめんに現れる。
(何でこいつ、これは得意なんだ)
 人と友誼を深めるのは苦手だと言いながら、自分に優しい人間に対してはあからさまなのだ。
 たまに、藤志郎の中には複数の人格が眠っているのではないかとさえ思う。
 千代の思考をよそに、女性は頬を赤らめながら藤志郎を見据えた。
「あの、実は……。素敵な殿方だと思って、見つめていたんです」
「そうか……。奇遇だな。俺は先ほど君を見かけて、似合いそうなかんざしを見繕ったんだ。どうか受け取ってはくれまいか」
「まあ……」
(今馬鹿にしてただろうが。……いや、待て、まさか)
 うまく商売に持って行ったと感心しかけたが、藤志郎が後ろ手に持っているものを見て千代は頬をひきつらせた。 
 嫌な予感は当たったようで、すぐさまに悲鳴が聞こえくる。
「い、犬の耳?!」
「パンの耳よりいいだろう」
「ぱん……?」
 きょとんとするのをよそに、藤志郎は女性の手を取る。
「さあ、きっと似合うは……痛いわ何をする!」
 手を振り払われついでに殴られながら、藤志郎はその場にへたり込んだ。
「何をするはこちらの台詞よ! 馬鹿にして!」
(その通りですよ娘さん)
 去りゆく女性。声には出さずに千代は同意する。
 何せ、藤志郎が取り出したるは犬の耳。しかもご丁寧に、それを頭につけられるような細工つきだ。
 細工を被れば柴犬のごとく、頭の上にちょこんと犬耳が乗るだろう。
 地に落ちた犬耳細工を拾って砂を払いながら、藤志郎は腕を組んで考え始める。
「何故だ……。千代、女心はかくも難し」
「いや学べよ」
 犬耳細工を渡されて心ときめく女性がこの世のどこにいるのか、しかも何故今の反応でそれがわからないのか千代には不思議だった。
 千代が言うと、藤志郎ははっと気がついたようだった。
「なるほど、そういうことか……」
「お、何だ珍しい、学んだのか」
「今の女人は、この耳を生きた犬から取ってきたと勘違いしたのだろう。これは作り物だし俺がそんなひどいことをするわけないが、そのあたりの説明が足りていなかったのだな……。恐ろしい男と思われても仕」
「足りてねえのはお前の頭だ!」
 店先であるのも忘れて千代は思わず叫び声をあげた。
「頭が足りない……? そうか、耳だけではなく犬の頭部を模した仮面にすれば」
「やめろ誰が本物志向の犬仮面もらって喜ぶんだ馬鹿志郎」
「偽物より本物の方が喜ばれるだろう」
「気持ち悪いわ!」
 極度の犬好きが知られて距離を置かれるのはいつものことであるはずなのに、何故こうも学ばないのか。
 千代がそろそろ本気で説教すべきか悩んでいると、藤志郎は真剣な顔で詰め寄ってきた。
「だがな千代、女人は千代をかわいいかわいいと言って寄ってくる。つまりは犬をかわいいと思っているのだろう」
「思ってるけどだからって犬になりたいと思う人間はこの世に一握りもいねえってあんたこれそろそろ七十は言ってんだから学べよ」
「学んでいるが納得できぬ。俺はこんなかんざしよりも犬が好きだ」
 華やかなかんざしを手に、藤志郎は力説する。
 千代は大きくため息をついた。
「あんたの趣味はどっちでもい……いやちょっと待て、何をかんざしを振りかぶってんだそれ商品って言うか投げるな、投げるなよ、絶対投げるなよ!」
「それー取ってこーい」
「わおーん!」
 千代は一吠えすると、一目散に駆け出した。
 藤志郎は千代の後姿を見つめながらつぶやいた。
「……何にせよ、あるがままが一番だろうに」

 存外かんざしは遠くに飛んでしまっていた。
 千代は少し悲しくなりながら、小間物屋へと引き返し始める。
(性だ……犬の性なんだ……)
 千代の口にはしっかりとかんざしがくわえられていた。
 物を投げられれば、どうしても追ってしまう。人の姿を借りようが、どうにも変えられぬ本能だった。
 そろそろ、日が傾き始めている。
(あれ)
 急に気分が重くなったような気がした。
 千代はその場で立ち止まる。ぞくっと、嫌な予感がした。
 一気に路地裏に駆け込んで、息を整える。
(……ああ、体が戻ろうとしてるだけか、びっくりした)
 大きく息を吐いた途端、視界が急に低くなった。
 犬の姿に戻ったのだと理解して、千代は落ちたかんざしを口にくわえる。
(何か、このかんざし、妙に重いな……? 戻ったからか?)
 一度かんざしを口から放し、千代は器用に座すると、まずは着物をたたみ始める。
 帯で着物を体にくくりつけながら、ぼんやりと考えていた。
(藤志郎、何でこのかんざし嫌いなんだろう。きれいなのに。……装飾品とか嫌いな性質ってわけでもないよな)
 再びかんざしを口にくわえると、妙な寒気がした。
 嫌な予感がして、再び口から取り落とす。
 髪をまとめてかんざしを挿した時、妙に頭が重かったことを千代は思い出した。
(妙だ)
 違和感がはっきりと形になり始める。
 目の前に落ちているかんざしに、薄気味悪ささえ覚え始めた。
 途端、千代の睨み付けていたかんざしが誰かに拾われ、顔を上げた。
「千代ちゃん、ごはんの時間だよ」
「主人。ごめんなさい、こんなところまで」
「あの薬師さんがかんざしを棒切れみたいに飛ばしたんだろう。……面白いお人だねえ」
 宗助はくすくすと、本当におかしそうに笑った。
 千代の顔が青くなる。
 藤志郎が投げたのはそもそも、宗助が丹精込めて作った商品なのだ。
「本当にすみません。実は今、買い取るお金もなくて、でも、働いて返しますから」
 地に頭がつきそうな勢いで平伏すると、宗助は気にしてないというように手を振った。
「いいよ、いいよ。今日は色男と可愛い娘さんが店先に立っていたおかげでお客さんが大入りだったから。商品の一つや二つ。……奈津も嬉しそうだったし」
「そうですか……」
 千代は頭を上げて、宗助と歩きはじめる。
 影が長く伸びていた。
「奈津はねえ、俺の昔馴染みだったんだ。いつも気が強くてねえ。俺はいつも後ろをついて行って」
「すごく、釣り合いのとれたというか、お似合いの夫婦だと思います」
「ありがとう。俺はこんなの作るしか能がないから、奈津がいないとどうしようもないんだ」
 宗助の表情は柔らかい。
 奈津のことを大切に思っているのだと思うと、千代は温かい気持ちになった。
(やっぱり、良いなあ)
 夫婦の情だけではなく、人というものが羨ましくなりながら、千代は宗助を見上げる。
「千代ちゃんも、着物とかかんざしが好きなんだね。やっぱり女ってそういうもんなのか」
「私は、あんまりお洒落をする機会がないから。どうしたって憧れます」
「そうかい」
 宗助は千代の言葉に立ち止まる。
 じっと何かを考えているようだった。
 何となく予感がして、千代は問いかける。
「奈津さんに作るんですか?」
 宗助は驚いたらしく目を見開いた。
 やがて、照れくさそうな表情を浮かべる。
「そうだねえ……。昔ね、奈津のためにかんざしをあつらえたら、随分喜んでくれて、笑ってくれてね」
 目を閉じて、何かを思い出しているような表情だった。
 やがて、悲しそうな笑顔に転じる。
「最近はねえ、人に売りはするけど、かんざしを渡しても、なかなか受け取ってくれないんだ」
「あ……」
 奈津がかんざしを挿していなかったことを千代は思い出す。
(もしかして)
 頭につけた時の妙な寒気を、奈津も感じているのだろうか。
 ならば、あの違和感を消さない限り、奈津はかんざしを受け取らないのではないか。
 漠然と千代は考えていた。
「奈津は最近辛そうだから。もう一度、喜んでほしいんだけどねえ。俺も、それさえ見たら、思い残すことは何もなくなる気がする」
「……」
 千代はただうなずいて聞いているだけしかできなかった。
 声をかけられた時、奈津は随分と必死な形相をしていたことを思い出す。
(かんざしが重いのも、妖怪が原因なのかな)
 そう千代は思い当たって、腑に落ちた。
(相当、妖怪に困っているんだろうな。看板商品は変になるわ、しかも夜な夜な壊されるわ……)
 店も宗助もかんざしも、奈津にとって大切なものであることには違いないだろう。
 だからこそ、それを壊す妖怪にほとほと困らされているはずだ。
 千代はそう結論づけ、改めて気合を入れ直す。
(妖怪、追い返さなきゃ。この二人は何も悪くないのにかわいそうだ)
「前は喜んでくれたのに、どうして……」
 考え事をしていたせいか、宗助のつぶやきを千代は聞き逃してしまった。
「え?」
「ん? ああ、すまないね。帰ろうか、お腹すいたろう」
 宗助は取り繕うように笑う。
 表情が妙にいびつなようにも見えて、千代は首をかしげた。
 日が暮れはじめていた。

 

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