幕間 空国のバルコニー
遠く高く澄みわたる青の名を教えられたのは、いつのことだっただろう。
「ルウス、万が一のことが起きました。青国《せいこく》で塩の雨が降り、撤退の兆しが見えています。フェイ様がうまくやったのでしょう。さ、王女を迎えに行きますよ」
「……」
「ルウス」
苛立たしげな声。空国《くうこく》の王女がいたはずのバルコニー。
ルウスは答えぬまま、その赤い瞳でぼんやりと空を見上げている。
劣勢の戦争には似つかわしくない快晴であった。
「……」
平和な鳥の鳴き声がしてからようやく、ルウスは呟いた。
「……セイカ、を……?」
「そうです。迎えにいきましょう」
「迎えに……」
ルウスは再び考える。
――十七日前、セイカは突如、この世からいなくなった。理由は、ルウスにはわからない。レイもセイカ本人も言葉を尽くして心を尽くして説明していたが、ルウスには到頭理解ができないままだった。
何より理解を阻害していたのは、「いなくなる」という言葉であり事実であり、またその事実が持つ重みであった。
(……)
ルウスにとってセイカという存在は「空」に等しかった。
そして彼にとって「空」とは、初めて知った物の名前であり、この国の名前であり、彼女の瞳の色であり、「全て」でもあった。
――突然「空が消える」と言われて理解できる人の方が少ないだろう。
しかし事実、セイカは消えてしまいった。なのに彼は、レイは、そのセイカを迎えに行くと言う。
いなくなったのに、迎えに行く、と言うのだ。迎えに行く。どういうことか。
(会える)
ルウスは真っ赤な瞳を見開いて、ようやくレイを振り向いた。
「ルウス、置いていきますよ?」
背まで伸びた銀の長髪に青の目、銀縁の眼鏡。レイがいる。
ルウスはじっとレイを見つめた。どうやって迎えに行くのか、いつ迎えに行くのか、本当に会えるのか、聞きたいことは山ほどあったが言葉も思考も上手でないので飲み込んだ。
レイは、嘘を言わない人間だ。ならばきっとセイカに会えるのだろう。それでいい。もう一度あの優しい空色の瞳に会えさえすれば、ルウスは理屈が何であれ構わなかった。
「セイカに、会いに行く」
「そうです。理解できましたか。よろしい。フェイ様にはご負担を強いますが許していただけました。参りましょう」
もう一度だけ空国の空を振り仰いで、ルウスは世界の転移についていくことにした。
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