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​妖怪江戸散歩 唐笠お化け恋の道行き

「さあさあ皆様お立ち会い、生まれはこの国、由来は唐国、付喪になって三十年、唐笠お化けの唐助たあ俺のこと!」
 秋風吹く往来を駕籠が行く。駕籠の後追う楓や銀杏は娘の櫛に簪に、はたまた着物の色に現れて、目の寒くない季節である。鮮やか好きは人だけでなく、昼の平気な妖怪もまた思い思いに美しき落葉を身につけて、両者共存の叫ばれる世の中の、ホウライ町は本日も賑やかであった。
「よっ、待ってました」
「唐助今日もやってくれ!」
 賑やかな町に大道芸の流行るはまた当然。一本素足に下駄を履き、落葉に似た茶色の唐紙に顔を書いた唐笠お化けの唐助は町一番の芸人である。
「とくとご覧!」
 付喪の妖怪は元来人に使われ化けたもの。人の喜ぶことや人そのものが好きでたまらない。集まった民衆の期待顔に唐助はその一つ目を細め、下駄で器用にお手玉を投げ、また毬を投げ、果ては枡を投げては唐紙の、頭とも体ともつかぬ傘で受け止め器用にくるくる回して見せる。
「いいぞいいぞ!」
「町一番!」
 やんややんやと大喝采。道行く子供は母の手を止め足を止め、群衆はどんどん膨れ上がる。
(ああよかった、今日もあの娘がいる)
 群衆を魅せながら唐助はまた群衆ををも見、若く美しい娘がどこぞの手代らしきいい男と共にこちらを見入っていることを確かめた。今日は紅葉色の装いがよく似合う。まだまだ母御の胸に抱えられていたころからの常連だ。
(あの子も大きくなったもんだ――) 
 唐助は長い舌の伸びる口元だけでフフっと笑うと、秋の高い高い空に最後の鞠を蹴りあげた。 
 
 どこまでも続くような高い秋晴れの下、濡れ羽色の長髪を一つにまとめた浪人風の青年と、彼の連れる真っ白な犬とが往来を行く。
「なあ藤志郎そろそろ疲れたぞ」
 呆れたようにため息を吐いたのは驚くべきにも白い犬の方で、髪も黒、目も黒、装束も一本差しの刀の鞘と柄も黒という真っ黒男は整ったすまし顔のままに平然と歩いている。
 犬は柴犬の成犬ほどの大きさで恐らくその声高さからは雌なのであろう。
「しかし千代、犬の身には散歩が必要だ」
「いや必要でも充分すぎるからね? 町何周してると思う? 今で七周目入りそうかな? 溶かす気か」
「溶かす……千代を……」
 皮肉と嫌みで告げたであろう「溶かす」の言葉に、真っ黒男は却って目を輝かせた。千代と呼ばれた犬ははっと失言に気づいたそぶりで、器用に片方の前足を口に当てわなわなと震える。真っ黒男は恍惚とした目で千代以上に震えぶつぶつと何か呟きだした。
「溶ける、溶ける……聞けば猫は液体化するという、ならば犬とて液体化しきっとその姿はさぞ愛らし」
「疲、労、で、溶けるつってんだよこっちはバカ志郎! そもそも私は妖怪であり犬であり軟体動物じゃない上おまけに人間目指してるって百篇言わす気か!」
「愛らしい吠え声なら百篇聞いても飽きないぞ」
「爆ぜろ」
 馬鹿飼い主然とした慈愛でもって千代を見つめる藤志郎に千代はきゃんきゃん吠えかかるが藤志郎はそれでさえ涼やかな顔に微笑を湛え逃して見せた。それが一層千代を苛立たせ却って藤志郎の笑みは深くなる。
 この犬一匹と浪人らしき青年は定宿も持たぬ風来坊で、藤志郎に甲斐性がないばかり先日またも住まいを追い出されたところである。犬の千代は許すのであれば自分が働いて人並みの生活を送りたいのだが、何せ犬の姿ではどこも雇い入れはしてくれず、頼みの藤志郎は見目も体格も立派なものの飽き性で人見知り、内職も定職も向かないのでついぞ貧乏になってしまうのである。
 結果として西洋の童話よろしく犬の溶けて醍醐となるまで暇潰しの散歩をするはめになり、疲労の千代は吠えかかり、犬への執着がどこぞずれている藤志郎はにやにやすることとなっていたのであった。
 やがて。
「おいそこのお前、見かけぬ顔だがどこから来た」
 役人らしき男がぬっと現れ藤志郎を睨み据えたのは千代のきゃんきゃん、藤志郎のにやにやがきっと怪しかったのだろう。千代が周囲を見上げるとあっちでひそひそこっちでひそひそ、遠巻きの衆目はこちらに集まっていた。
 あまりの恥ずかしさに千代は体を伏せ、これまた器用に両の前足で目を覆う。とんだ見世物だ。
 頭上からは藤志郎の冷静なそしてどこか空とぼけた声が降ってくる。
「俺か。俺は妖怪だ。暇だからこうしてあちこち歩いている」
「ははは、見え透いた嘘をつくでないわ。大方どこぞの浪人だろう。俺も浪人の出だからよう分かる」
 千代がそっと片足をのけて盗み見れば役人とおぼしき男は二本差しで、妖怪、浪人、武士の次男などが取り混ぜて結成された警ら隊の一員であろうと見受けられた。要するに警察のような働きをする部隊である。千代は匂いをくんくん嗅いでみたが、妖怪だか人だか良く分らなかった。
 藤志郎は意に介さず、ふっと鼻で笑って見せる。
「分からぬか。妖怪が何も物の怪じみた姿ばかりしているとは限るまいよ。天狗を見よ、一つ目小僧を見よ、のっぺらぼうを見よ」
「一理ある。言い方を変えよう。何故昼日中から妖怪を連れて散歩ばかりしている。聞いた話では全身黒ずくめで怪しい薬品でも売っていそうな男が同じ場所を四周、五周と回っていると――」
「……無職なんで……」
 藤志郎は一瞬言葉につまるとしょげて見せた。
「……他にやることなくて……、家も先日追い出されまして……」
「あ……すまん……」
「……」
「……」
「やめてこの空気なに」
 いたたまれず千代は目を覆っていた前足を退けた。千代の言葉に役人はゴホンと咳払いをし矛先を千代に向けてくる。
「その方は犬の妖怪か。白い毛並みに青い目とは珍しい。お前の主人が妖怪というのは本当か」
「うん、本当だよ。藤志郎ほら、何か芸でもやって見せてよ」
「分かってはいるのだ……、いくら妖怪と言えど定宿定職も持たずにふらふらしていれば怪しまれ止められても仕方ないとは分かっているのだ……。しかし何故かどの職も長続きせず結局家賃が溜まって追い出されるのだ」
「あ、聞いてねえなこれ」
「いや結構、充分だ。何かしら真っ黒な煙のようなものが背に見える。人であればこうはいくまい」
「ガチへこみしてんじゃねえか」
 千代の呆れて呟いたのに役人は少し困ったような様相で、しかし取り敢えずこの場を立ち去りたいのかそそくさと話しをまとめる。
「呼び止めて悪かったな。妖怪であるならそもそも『そういう形』なのだろう。……あーその、何だ、頑張れよ」
「すみませんお手数をおかけしました」
 千代の会釈に困り顔を返し、役人はその場を立ち去った。
「ほらもう行ったぞ藤志郎。その本当はへこんでないのにへこんでいる風に見せるのもうやめろ」
「割と真面目にへこんでいる」
「あっごめん」
 しまった、この根暗はこうなると長い。千代は目を泳がせる。
「……ま、まあまあ、そんな落ち込まなくても。あの人はただ真面目にお仕事なさってるだけでいじめに来たわけじゃないんだし。ね。いいじゃん」
 少々目の淀んでいる藤志郎に掛ける言葉を探し千代は取りなすようにする。何で長距離散歩に付き合わされた自分がこうして機嫌を取らねばならないのだと考えないではなかったが、しかし効き目はあったようで藤志郎はふうと息を吐くと視線を地面から遠くの方へと投げた。
「……しかし。真面目にお仕事というならば、あの覗き魔が見えぬのは節穴としか言えまいな」
「の、覗き魔?」
 唐突に出てきた言葉に驚いて千代が藤志郎の視線を追うと、二人の大通りから少し入った細い路地のそのまた奥を見ているようだった。
 何のことだと千代が歩き出すにつれて藤志郎もその後を追い、そうして一人と一匹は路地をひょいと覗く。
 路地の奥に一本の影。唐傘のような形をしたその影の背は、こちらと反対の大通りを何やら物憂げに見つめているようであった。

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