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​妖怪江戸散歩 唐笠お化け恋の道行き

 大通りを覗く背は、少し古ぼけた唐笠姿。千代はあっと思い出す。
「あ。あれ唐笠お化けの唐助だ」
「有名なのか」
「この町で人気な大道芸人みたいだよ。……わ。戻ってくる」
 大通りを覗いていた背が翻り、彼はとぼとぼ、こちらの通りへ向かってくる。千代はとっさに身を隠したが藤志郎はそもそも身を隠す理由が分かっていないと見えて棒立ちのまま。そのまま戻ってくる唐助と目が合い、当然ながら唐助は「ひぃっ」という甲高い奇声を上げ、しかし逃げる様子もなくむしろこちらへ駆け寄ってきた。
「な、何でえ何でえお侍様が覗きですかい」
「侍ではない、無職だ」
「威張るな」
「落ち込むなと言われたから威張ってみた」
 唐助は二人のやり取りをきょろきょろ見つめているが、しょうもないことを言っている藤志郎には構わず、千代は唐助に弁解する。
「ごめんね、有名な姿だったからつい気になって」
「だ、だからって覗きを覗くやつがありますかい。こいつは商売あがったりだ」
「本業覗きなの?」
「……一本取られた」
 唐助はおかしそうにくつくつ笑うと、緊張していた面持ちを緩めて自己紹介する。
「自分は大道芸人の唐助でございます。そこのお二人は妖怪で」
「私は千代、こちらは藤志郎。今日泊まる家もなくて限りない散歩をしてたよ」
「そりゃまた面白い趣味で」
「趣味じゃないけどね。……ところで何で覗きなんてしてたの」
 千代が気にかかるままに問うと、唐助はうっと詰まり一つ目をきょろきょろさせてから、「こちらへ」と彼が先ほど立っていた場所まで千代を連れて行く。
 先ほど唐助のしていたように千代もそっと顔を出してみると美しい女性が一人、人待ち顔に立っていた。
「綺麗な人だね」
「そうでしょう、そうでしょう。それだけでねえ。心の方もとくと綺麗で。もうほんの子供の時分から、雨の降る日も風の吹く日も通ってはにこにこ応援してくれて。雨の降る日にゃ唐紙が危ないだろうといい油を贈ってくれたり、ちょっと失敗して怪我した時にも治療してくれたり」
「想い人なんだね。……え? 何で覗いてるの? 声かければいいじゃん」
 千代が顔を引っ込めて唐助に問うと、唐助は唐紙の体ごと真っ赤にしてぶんぶんと首を振った。大道芸の時の堂々たる威風のないうぶな姿に千代は少しおかしくなる。
 いつの間にか近くに来ていたらしい藤志郎は、美しい女性を一緒に覗くでもなく、興味もなさげに千代と唐助をぼんやり見つめていた。
「そんなそんな、駄目ですよ」
「え、そんな小さい頃から来てくれて、普通に話もしてるんでしょ? 良い感じじゃん」
 意外なロマンスに出会えて少しばかり気分も上がっている千代が問うと、唐助今度はうっと言葉を詰まらせて、やがて力なく笑った。
 これもうぶ故の照れだろうかと千代が考えていると、唐助は一度口を開いてまた閉じ、そうして今度は困った顔をする。
「大道芸をしている時ならいいけど、そうじゃないときには、自分は……。それにほら、きっとそろそろです」
「ん?」
 何がそろそろなのだろう。千代がまたも大通りの先をそっと覗くと、そこには店から出て唐助の想い人に近づく一人の男がいた。
 身形もよく顔も細面。どうやら人間であるらしく、女性と笑い合っているようであった。
「あんなに似合いの好い男がいるんですよ。いい男にいい女、人間同士、お似合いで、いいじゃないですか」
 唐助が諦めるように言うので千代は二人の様子をじっとうかがう。二人が恋仲かどうか千代には分からないが、確かに釣り合いが取れているようには見える。千代よりずっと長い時間彼女を見つめている唐助は、初めから叶わぬ恋と分かって覗いているのかもしれない。
 気持ちは分かったが何となくもったいなくて、千代は「でも」と続けた。
「そんなことわかんないよ。だって今、こんだけ妖怪と人との両者共存って言われてどんどん境目もなくなってきてるんだから、大丈夫かも」
「いやいや、だめだめ」
 唐助は幼い子を諭すように、苦笑して首を振る。
「やっぱりねえ、人間には人間ですよ。こうしていくら、妖怪の大手を振って歩ける時代だと言ってもね。中には変な奴もいるじゃあないですか、人を襲うようなのも、拐うようなのも。そんな妖怪とくっつかせちゃ親御さんもかわいそうだしねえ。それにねどう見比べたって一つ目の唐傘は、あんなにいい男の前じゃあ道化にしかなれませんて。……だから俺はこうして、夢だけ見るようにしてるんですよ」
「……」
 唐助の中で答えは決まっているらしい様子に千代は黙ってしまった。気を遣ったのか唐助は「俺の場合はですよ」と取り繕う。
「まあ、相手と幸せになってくれれば俺は満足で。……満足で」
 唐助は藤志郎の端正な横顔を見上げた。
「せめて妖怪は妖怪でも旦那みたいな人型の、とびきりの好い男でさえあればねえ」
「そうだろう俺は美形だ。見る目があるな」
「今そういう話じゃないだろ何言ってんだ無職志郎」
 空気の読めなさに千代は突っ込んだが、却って唐助の心は軽くなったのか、彼はカラカラと明るい笑い声を漏らした。
「はあー、おかしな方たちだ。ところでどうです、泊まる家もなく限りない散歩をされるってのはいい趣味だがお困りでしょう。そんなに広くはないがうちに泊まっちゃあ」
「喜んでご厄介になろう。無賃も何だ、料理や掃除くらいなら手伝うぞ。千代が」
「あんたな……、でも確かに困ってたんだ。助かります、ありがとう」
 根っからの無職気質の藤志郎を軽く睨みながら、千代は唐助の案内についていく。
 少しばかり立ち止まっていた藤志郎は目をすがめて路地の向こうを見遣っていたが、やがて踵を返し、彼らについて唐助の家へと向かった。

「お嬢さん。おみつさん。行きますよ」
 唐笠の去った細い路地をそっと覗く女の影。まだほんの娘にしか見えないおみつはホウライ小町と名高い勢田屋の一人娘である。そこそこ名の知れた呉服屋で、近々婿を迎える噂もある。唐助の想い人その人だ。
「おみつさん。お母さんに叱られますよ」 
 お転婆なおみつははっとしたように、その言葉でようやく覗きをやめて通りに戻る。男は店から受け取った荷物を片手におみつを待っている。どうも使いの途中であるらしい。
「妖怪見世物も今日で最後にしましょう。妖怪は良くないものです。お母さんにも言われてますでしょう」
 男は端正な顔で笑いながら言う。男の言う通り勢田屋の女将は旦那を上には置かぬ気の強さ、そして妖怪嫌いは一通りでなく、その姿を目に入れるのも嫌なようで店に妖怪お断りの札を貼るほどだ。両者共存の世の中で珍しいことだが、お上にもつながりがあるという噂の勢田屋だからこそできることである。
 おみつは端正な顔でにこにこと笑っている男の顔をじっと見た。
「母様が怒るのはあなたが嘘つきだからだわ」
「ははは。そんなことない。いい加減な妖怪と違って、俺はまっとうな人間ですよ」
「まあ古い。今の世の中はそんなこと、どうだっていいのよ」
「いいえ。いいえ。妖怪は危ないですよ」
 若い手代らしき男は胸を張るおみつにそう返すと、細い路地の奥をじっとりと見つめていた。
 しかしまたすぐに貼り付けたような、端正な笑顔に戻るとおみつについて歩き出した。
 
 唐助の家は妖怪ばかりの住んでいる通りにある。妖怪も人も変わらず雇われまた妖怪自身も大きな恐怖の対象ではなくなって長い。最近では役人の中にも妖怪枠なる雇用枠ができていたが、昔ながらの感覚なのか、妖怪と人とは何となく住まいも食べる物も分かたれていた。
 ただし本当に大雑把な区別で、この世では人でも動物でも植物でもないものを、半神から鬼から半人までひっくるめて「妖怪」と呼んでいるのだからあってないようなものでもあり、この何となくの区別は個々の感覚に依るところが多かった。その中でも唐助は昔ながらの付喪神であるから、いっそう区別の心が強く妖怪の住む場所に住んでいるのだろう。
 そんな区別の心が強い唐助を何より驚かせたのは、千代の姿であった。
「ち、千代さんあなた、人間だったんで?」
「残念ながら、まだ人間じゃないよ。でも掃除も料理も犬のままじゃあ滅茶苦茶やりにくいんだよね。抜け毛も人の姿よりひどいし」
「はあー。しかし、まだってのは。いつか人間になる予定でも……」
「そう藤志郎に頼んでるんだけどねえ、なかなか……、藤志郎、人の家でそんなだらけるの恥ずかしいからやめてくれ」
 往々にして妖怪は人より気まぐれで、社交性に富んだ者ばかりでもないので人のように長屋住まいをすることがない。川に住まう者もいれば森に住まう者もいるし、たとえ町中に住むものであってもそれぞれで独立した区域、家を持っていないと落ち着かないものもいる。唐助の家も例にもれず一人用のそこそこ広い一軒家である。
 だから藤志郎も落ち着いて板敷に寝っ転がり天井を眺めているのだろうが、千代の心情としては「多少は手伝え」であった。
「まあまあ俺は気にしてませんよ。しかし優れた薬師様でいらっしゃいますね。これを職にすれば儲かるでしょうに」
「一粒で半日くらいなんだけどね」
 言いながら千代は、長くよく跳ねる銀髪を一つにまとめると、童女のような白くちいさな人の手で竈に火をつける。唐助は千代が人の姿になってあれこれ動くのが物珍しいのか、土間でじっとその姿を見つめていた。窓の外は橙の日が差してきている。
 藤志郎の作る丸薬は一粒で妖怪を人の姿に変える力を持つが、効果は長くとも半日で、そもそも渡してくれることもまれである。ケチなのだ。いやそもそも、千代が人の姿になることを好いていないようで、千代の芯からの願いである「人になりたい」というものにもあまりいい顔はしない。
「千代さんは人になりたいんで」
「そうだよ。力もない喧嘩も弱いただの喋る犬じゃあ、何にもできないからね」
「ははあ。そいつは深刻ですな。……しかしそれだけじゃあないんでしょう」
 ごまかしがうまくなかったのか、唐助に見る目があるのかあっさり見抜かれ千代はまごつく。しかし唐助の秘密を暴いてしまった以上こちらも隠すのは公平でない気もして、千代は逡巡しながら呟いた。
「私、人間だったころの記憶があるんだよ。……だから元は人間だったはずなんだけど。何故か気づいたらこんな姿だったんだ」
「それは……、難儀なことで」
 案外にも否定の言葉が出なかったことに千代は目を瞬いた。
「あれ、信じてくれるの」
「俺も元々はただの唐傘で。それが人に使われるうち心を得たもんで。唐傘が妖怪になるのなら、人が妖怪になったって不思議はありはしません」
「……ありがとう」
 先ほどまであれだけ人や妖怪の姿にこだわっていたはずの唐助から真っすぐに肯定され、千代は少し照れながら手を動かす。予想外の言葉であったからだろうか、それとも年の功で話しやすいからだろうか。千代の口からはするすると決意が出てきていた。鍋に入れた澄まし汁の具はそろそろいいころ合いである。
「私は、人になるのを諦めるつもりはないんだ。妖怪が嫌なんじゃないけど、やっぱりきれいな着物を着て歩きたいし人の子並みに結婚して、しかるべき時に死にたい。そう生きたいから、人になりたいし戻りたい。これはきっと、私の人であったはずの部分から出てくる願いなんだと思う。……多分、無理って言われるだろうけどね」
「……人になるのを、ですか。確かに人であれば……」
「皆が選べたらいいかもね」
 唐助が暗い声でつぶやいたのを打ち消すように、千代は言う。
「選べたらいいのかも。人になるか妖怪になるか。私は人であったはずだから、人として生きるんだ。今は妖怪の姿だからって、何かを諦めたくない」
 藤志郎をちらと見遣り、千代はまた手元に目を戻す。諦める気の全くなさそうな言葉に、唐助は小さく「なるほど」と呟いたようだった。
「こんな小さな女の子に諭されちゃあ世話ねえな」
「え?」
「何でもねえですよ。今は幸い両者共存を目指す世の中だ。そんなら人を目指すにうってつけですな」
 唐助の言葉が気になったが、彼はまた元の調子で軽口をたたき始めたので千代も調理に戻ることとした。

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