
妖怪江戸散歩 唐笠お化け恋の道行き
妖怪一切お断りという時代錯誤の貼り紙がある勢田屋には、その周辺の通りにすら妖怪の姿はない。人だけが闊歩する様子は一種異常であるが、店に来る客も錯誤的な考えを持つ者の他、役人やその上役の遣いなども多く、このため勢田屋はある種のブランドのような立ち位置を確保していた。
「どこへ行っていた」
恨みからか事実かは分からないが、役人などの御用達になっている理由はほかにもあるともっぱらの噂である。
おつかいに出ていた手代は戻ってきた早々に勢田屋の店頭へ駆り出されたが、すぐに女将に呼び出された。妖怪嫌いで有名な彼女はどこか有無を言わせぬ風格がある。おみつは店頭で客と話をしている。
「おつかいへ行っておりました」
手代は端正な顔に笑顔を貼り付けて答える。その端正な顔に女将が一つ張り手をくらわした。
表情を変えずに彼女は続ける。
「おつかい以外にあるだろう、何をしていた。言え」
「おつかいです」
表情を変えぬのは手代もであった。変わらず端正な顔に笑顔を貼り付けたまま同じ言葉を機械的に繰り返す。
はあ、と女将はため息を吐いた。
「使えないね。ああそうか、おかしくなってんのか。これだから妖怪風情は。まともにしてやってもどうもならない」
女将がぶつぶつ呟くのを手代は笑顔のまま聞いている。
「まあ、上に卸す薬の試験にはなったからいいか。全く妖怪というのは馬鹿だね。両者共存なんて言葉がどう成り立っているかも知らずにさ」
「はい、妖怪は悪者です」
笑顔のまま言う手代に女将は機嫌を良くしたらしく大笑いした。
「それをあんたが言うか、よろしいよろしい。ったく、あのバカ亭主もさっさとあの貼り紙外してくれないか。能なしのくせに余計なことばかり。あれじゃ実験台が寄り付いてくれやしない」
「剥がしてきましょうか」
「だから妖怪は馬鹿だというんだ。こんだけ噂が広まった後に剥がしたら変な噂が立つよ」
「はい、妖怪は馬鹿です」
女将はもう一度笑った。
「あんたは私に逆らえない。私だけでなくこの町に逆らえない。逃げ出すこともできない。良いね」
「はい」
「よろしい。じゃあ今日の夜は情報収集に行ってきな」
「わかりました」
手代は貼りついた笑顔のまま、去っていく女将の後姿を見つめていた。
遠くから甲高い笛の音が響いていた。
唐助は唐傘であるが、食べる物は人と大きく変わらない。変わるのは食事をするのに足ではなく長い舌を使うことくらいであったので、何か特別なものを作らずとも調理が一度で済んだのは千代にとっても幸いだった。
「いやあ、唐紙の体では火を使うのもおっかなびっくりで、こんな温かいご飯は久しぶりに食べますよ。しかもうまい」
「だろう。やらんぞ」
何故か藤志郎が自慢げである。
「私はどっかいいおうちにやってほしいけどね」
「何故だ……、こうも尽くしているというのに……」
「逆じゃない? ねえ? 逆じゃないの? 尽くされたことあったかな?」
「お二人は辻漫談か何かで食っていったらいかがです?」
本当に辻漫談を思案し始めたらしい藤志郎ににらみを利かせていた千代は、急に妙な表情をするとやがて霧のようなものに巻かれた。
平然と食事を続ける藤志郎と目を見開く唐助の間で千代は元の犬の姿へと戻る。丸薬の効果が切れたようだ。
「ありゃりゃ今来たか。安心して、足とかちゃんと拭いてるから」
「今日は早いのだな」
「誰かが終わりのない散歩に連れ出すから疲れてたんだと思うけど」
「終わりのない散歩……、それも良い……」
「良くねえわいい加減にしろ」
「……あっはっはっはっは!」
唐助はしばらく千代の方をじっと見ていたがやがて驚嘆が過ぎたのかおかしそうに笑い始めた。
さすがにびっくりして、千代と藤志郎は唐助の方を見る。
「いやあ今日は驚かされっぱなしで。いつもは人を驚かす立場なんですがねえ、ああ、何だかもう、馬鹿馬鹿しくなってきた」
「え、どうしたの、何が?」
千代が聞いてみるも唐助は問いに直接答えず苦笑を続ける。
「ああもう、何だか馬鹿らしいや。人だの妖怪だの、どうだっていいですね。些細なことだ、悩むようなことでもない。諦めない、それで妖怪にも人になれるなら、もう俺は俺のままでいいじゃないですか。自由、自由、何になるも自由! 両者共存ここにあり!」
後半は自分にも言い聞かせているようで千代は思わず藤志郎の方を見る。
藤志郎は微かに笑っているようだった。
「しかし旦那、こんな便利な丸薬があれば客も絶えず職にも就けるんでねえですか」
「俺に接客は全くできない。ついでに言うと内職も無理だ。あと用心棒もな」
「ええ? 立派なお刀差してらっしゃるじゃないですか」
「これは人の斬れぬなまくらよ」
「はあ……、どこまでも変わったお人だ」
納得していないらしいながらも唐助は頷いて、やがてぺろりと舌を仕舞い、二匹に向き直った。
笑顔ではあるがどこか真剣みがあり千代も思わず座り直す。
「お二人さん、俺は決めましたよ。俺は明日、あの子にとっておきを贈ります。見に来てください」
「お? おお?」
何故だか覚悟が決まったらしい唐助に千代は年頃らしく沸き立った。しかしすぐ考え直す。
「ん? 贈り物? え、想いを告げるんじゃなくて」
「あ、いやあーあの、それは、もうちょっと先で……、俺らしく行きます……」
唐助は唐紙の体ごと真っ赤にする。真新しい番傘のような色だ。長く生きてもうぶはうぶなのだろう、
拍子抜けはしたが、それはそれで唐助らしいなと千代は思った。藤志郎が答える。
「何も払えんぞ。何せ宿に困るくらいだ」
「いりません、いりません。その、ただただ傍で見ていてほしいんです。もし俺の芸に興味がないなら、芸自体見なくても」
「いや見る」
「絶対見る」
「息ぴったりですな……」
唐助の苦笑する横で、藤志郎は何かに気づいたかのようにちらと窓の外へ目をやった。
草木寝静まる夜である。見回りの役人は提灯を携えホウライ町の大通りをしずしず歩いているが、それ以外にほとんど人通りはない。あるのは夜の好きな妖怪がほとんどで、人かと思えば顔がなかったり首が長かったりする。見回りの役人も妖怪が多いようで、昼と夜とで違った様相の町となっていた。
ただし妖怪の闊歩する時間でも、胆の座った物好きや端から妖怪を何とも思わぬ者は出歩いている。何より目指すは両者共存、お上が危なくないよう仕掛けしているとの触れ込みもある。
「おいそこの」
「はあ、何でございましょう」
闇夜に溶ける濡れ羽色の長髪、目も黒、身につけた着物も一本差しの刀も黒の真っ黒男が、薄ぼんやりとした町の灯に照らされている。 呼び止められた男は笑顔を貼り付けにっこり答える。真っ黒男は呟くように一言告げた。
「あまり偽りを続けるなよ」
「は?」
立ち去る真っ黒男。残された好い男は目を見開いてポカンとした表情を浮かべていた。
「変なお人。行きましょ」
「……」
男にしなだれかかるのは赤い着物の商売女。男は女に答えずに、真っ黒男の歩く先をじっとりと見つめていた。
「偽りの姿にしたのは、誰だと思っているんだ」
今日は唐助が大道芸をするというから千代も朝早く起きて待っていたというのに、昼になっても藤志郎の姿だけがなかった。
床に入ってすぐに鼾をかいていたと思ったのだがどうやら違ったようで、もぬけの殻の布団はとうに冷たい。
「昨日の話をもう忘れたのか」
「ははは。まだまだ時間はありますからいいじゃあないですか」
千代は申し訳なさから尻尾を垂れるがここに居るのは元の気質が気まぐれな妖怪ばかり。誰かの姿が消えたくらいでそう驚かない。唐助ほど長々生きていればそれもひとしおのようで、かえって藤志郎を褒めたりする。
「しかし藤志郎さんってすげえお人だね。俺もついつい惚れそうだ」
おべんちゃらかそれとも宗旨替えかと千代が青い目を白黒させていると、唐助は違う違うと顔を振った。そうしてちらりと窓格子の外の高い空を見る。
「慣れてるってのもあるかもしれないが、千代さんが人の姿だろうが犬の姿だろうが動じない、変わらない。俺なんて驚きっぱなしだったのに。そこをすごいと言ったのさ」
妖怪と人との両者共存が叫ばれているから、今や表だって互いを非難したりする姿や虐げる姿はあまりない。
だが何となく妖怪と人とは分かたれがちで、そこに区別の心がないとは言いきれないのは千代だって十分すぎるほど知っている。唐助なんかは特にそうだろう。
「ははは。そうかな。藤志郎もあんまり人の姿は好きじゃないみたいだけど」
「けれど一緒に居ますし、千代さんが人の姿になるのを止めはしないでしょう。ああこれが共存かってね」
「……まあ、そうかなあ。何だかんだ薬も作ってくれてるなあ」
恥ずかしいのであまり認めたくはないが、きっと唐助から見れば藤志郎は千代を大事にしているのだろう。
千代の人になりたいという想いに「無理だ」と自分の意見は言うが、止め立てしようとするわけではない。尊重してくれている、のかもしれない。
それはきっと千代が妖怪だからというわけでもないだろう。
「そういうのを見ていますと、何だか人だ妖怪だ馬鹿馬鹿しくなって。そんでだんだん俺も気力がわいてきてしまいましてね。昨日は言えませんでしたが、ありがとうございました」
「そんな、こちらこそ宿を貸してもらってありがとう」
決意したらしい唐助の表情は真剣で千代はほっとした。そしてどこかから出した半円の薬を前足に載せて唐助に見せる。
「じゃあ……、これは要らなそうだな」
「何です、それ」
「昨日、薬を飲むとき、半分だけにしてたんだ。藤志郎には内緒だけど。……昨日、人間の形の色男ならって言ってたの聞いて。人になる方が力になるならって、どっかで渡そうって思ってたの」
人だろうが妖怪だろうがどっちでも唐助は唐助だ。でももしどちらかの姿の方が勇気が出るなら、その姿を借りたって悪くない。選べるなら選んだっていいと千代は思う。だって中身が変わるわけではないのだから。
「なるほど。ありがとうございます。そうだな……」
唐助は礼だけ言うと首を振る。
「こいつは、せっかく千代さんの考えてくれたお守りだ。使うかわからんがもらっておこうかな」
唐助が真っ赤な長い舌を出したので千代も載せる。商売道具と一緒にしまう唐助を横目にみながら、千代は不器用ながら藤志郎への書き付けを作り、家の戸に貼りつける。
「よし」
気合いをいれたのは唐助だ。頑張る勇気を持てたなら、きっと絶対うまくいく。まあ、想いを告げるのはいつになるやらなのだが……。
そんなことを考えつつ、千代は彼と連れだって往来へと出た。
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