第一話 やくそくの
「……驚きました」
レイは暗い映像をふっとかき消し、今度は色鮮やかな映像を見せてくれる。
今度の映像には、欧風の通りの中に所々煌びやかなアジア風の家々が調和し、美しいものだった。子供たちは遊び回り、人々は活気に満ちて笑い合っている。多国籍文化の国なのだろう、人々の肌の色も髪の色も様々だ。目の色は、睦実と同じ空色が多かった。その空の色も晴れやかで、レイが「城」だという公共施設の集まりらしい建造物は趣の異なる文化で建築されながらも融和していて見ごたえがあった。市も立っているらしく盛況で、声さえ聞こえてきそうであった。
「これはまた、別の国?」
「いいえ。一か月ほど前の空国ですよ」
清香の言葉に苦笑して、レイは続ける。
「一か月ほど前。こちらの世界では三十年ほど前になりますか。僕たちの住む空国は隣の『青』という国から侵略を受けました。あちらは機械の発展した国で初めから勝ち目もありませんでした」
「侵略」
聞き慣れない言葉に清香は思わず聞き返す。信じられないという言葉がまたも出かけたが、いちいち清香の現実と比較したって仕方ないと思い直した。
それにこの煌びやかな映像の前に見せられた、あのひどい有様は侵略を受けたからだと言われれば理解はできる。
清香は続きを促すように頷く。
「そして劣勢の戦争のさなかのこと。当時の王、セイカ様のお父上がお亡くなりになりました。しかし、セイカ様に即位いただき戦うには、あまりに僕たちに勝ち目はなかった。未だセイカ様もお若かったのです。十七でした。だからお二人にはここまでお逃げいただき、機を待つことになった次第です」
「それが、約束……、だった」
「約束」
今までずっと黙っていたルウスが口添えする。レイは一瞬、ルウスを冷ややかに見たようだったが清香は気づかなかった。
それはおうむ返しにした「約束」という言葉が妙に馴染んだせいもある。しかし先ほどの既視感と言い、ルウスと関わる時だけ妙な感覚がある。いったい何だと言うのだろう。
「……なるほど」
違和感を追い払うように清香は呟いて情報を整理する。要するに、龍の治めるおとぎ話のような魔法の国があって、そこが機械の国に侵略を受け、なおかつ統治者の王までが死んでしまったから王族だけでもと逃がした、それが清香であるということなのだろう。
龍の王女。言いたいことだけは理解できた。清香の様子を見て安心したらしくレイは続ける。
「睦実さんも同じく、前世は僕たちの国の宰相でいらっしゃった。重要な方でしたのでこうしてお逃げいただいた。他にも二名ほど――」
「ねえお兄さん、俺もその『約束』とホラ話信じなきゃダメ?」
「えっ」
今まで黙って聞いていた睦実が不思議そうに口を差し挟み清香は戸惑う。ついさっき目の前で起きることを信じろと言ったのは誰だ。どの口だ。
そう言いたかったが、不満そうな、疑うような目をレイに向けているのを見て清香も押し黙った。
睦実は何に怒っているのだろう。さっきの映像で侵略を受けたことは充分わかったし、何か状況が良くなったのなら、一時的に逃げていた二人を迎えに来るのに何も矛盾はないというのに。
予想していたのか、レイは頷く。
「まさにおとぎ話のようなお話ですものね。信用できないことは分かります」
「そうじゃないよ。話に嘘はないだろうけど。……俺、嘘をつく人はあんまり」
「困りましたね……」
レイは困ったように笑みを浮かべ、睦実もまたレイの笑顔を見つめたまま黙っている。
どうしたのと清香が聞く前に睦実はその表情のまま「隠し事してんじゃねえよ」とぶっきらぼうに呟き、場がしんと静まり返った。
「えっと……」
清香は考える。レイの話は嘘ではないのだろうが、睦実はきっと何かに引っかかっているのだろう。いずれにしてもそれは、レイの話をおしまいまで聞いてから問うても遅くない気がした。まだ「お願い」が何かも聞いていない。
清香は立ち上がった。平和な巽家で育った清香は、誰かが気まずい思いをするのはあまり得意でなかった。
「い、いやーびっくり松ぼっくりな話ばっかりで私ちょーっと疲れちゃったかな。皆にもお茶入れてくるから、それから続きが聞きたいかなあ。で、最後に質問タイムにしようよ。まずは休憩しよ、休憩!」
ひっくり返りそうな明るい声で場の静寂を破る。
「すみません。ありがとうございます」
急な発言に驚いたような表情の睦実と、にこやかなレイの声を後ろに、清香は階段を駆け下りる。
「……びっくり松ぼっくり……?」
階段を途中まで下りた時にぼそっと睦実が呟いたらしいのが聞こえた。そこだけ拾うな。
お茶四つに茶菓子を添えて出す。
レイは「いただきます」と言ってにこやかに口をつける。初め以外ほとんど喋っていないルウスもレイの真似をしてお茶をすすり、そして不思議そうな顔をした。緑茶など初めてだったのかもしれない。素直な人だ。
「さて。どこまでお話ししましたっけ」
「……魔法の国の大ピンチ?」
睦実は未だ突き放すような口調で茶化してはいるが、取り敢えず最後までを聞く気になったらしい。
清香もお茶を啜って息をつく。清香自身もそこそこに緊張していたことにようやく気付いた。
「はい。本当に大ピンチだったのです。しかし昨日、その絶体絶命の状態の僕たちに幸運が舞い込みました」
レイはまだとげとげしい睦実を気にすることなく頷き、再び手の上へ映像を浮かび上がらせる。
そこには白っぽく濁ったような雨の降る、暗い夜空が映っていた。これは何だと問う前に、今度は雨の中に青い甲冑が浮かぶ。人だろうか。しかしよく見ればそれは人の姿を模しているが、全てが鉄か何かでできているような金属質の兵隊が平野の中で動きを止めている姿であった。
ゲームにでも出てきそうな映像だが、青い甲冑に浮かぶ鉄さびらしきものは、こちらの世界とそう変わらないようだ。
「塩の雨です。気候まですべて機械で管理し魔法も寄せ付けなかった青国にどうしたエラーか、鉄を錆びさせる塩の、要するには塩水の雨が降りました。機械兵は動きを止めた」
「そんなことがあるの」
塩水がそのまま雨として降るなど、酸性雨どころの話ではない。
驚く清香に、レイは映像を消して頭を下げる。銀の髪が揺れた。
「僕たちのお願いはこのことです。空国を再興するなら、敵国の勢力が弱まった今しかない。幸いにも皆さまご存命だ」
その声は先ほどまでのどこか笑みを含んだ穏やかな声とは違って聞こえた。カシャンと音がしたのはルウスが身じろぎしたからかもしれない。
睦実が何か言いたそうにしていたがレイは真剣な声で続ける。
「どうか国を、僕たちを、お助けいただけませんでしょうか。セイカ王女、陸奥宰相」
清香の脳裏には先ほど一瞬見ただけの、荒れた空国の様子が再び現れては消えていった。
レイとルウスを清香の部屋の窓から見送るころには相当深い時間になっていたのだが、なぜか父母は何も言ってこなかった。
睦実の方にも特に木山家から連絡はなかったらしいが本人は「いつものことでーす」と吹っ切れたように笑った。そして清香の様子に気づいたのか笑みを収めて声をかけてくる。
「清香清香、ぼーっとしてどうしたの」
「いやー何か……、三者面談より疲れたなって……」
窓からは夏の夜の匂いが風に乗って運ばれてくる。こうして二人が去ってみると全く現実味のない出来事だった。
あの後、レイの誘いにどう答えようか迷っていると、察したレイから「今すぐに答えはいらないのでゆっくり考えてほしい」と先回りされた。
「ゆっくりって。のんびりできる話でもないんじゃ」
見せられた情景はあまりにもひどいもので、いくら敵国が塩の雨で機能停止しているからって捨て置けるものでもないというのは清香でさえ分かった。
しかしレイは、心底困ったような表情で笑って見せた。
「すみません。実は僕はこちらの世界で不肖の兄を探さないといけなくてですね……」
「お兄さん?」
「はい。先ほど申し上げた後二人こちらに生まれ変わっているというのは、一人が僕の兄『朱』、もう一人が女性ながらに有能な騎士の『マリー』なのです。僕は王族の魂の行方を追っていたので、清香さんとその傍にいらした睦実さんまでは場所が分かったのですが……」
近所に金髪と赤髪の十七歳男女はいませんかと問われたが残念なことにそんな目立つ知り合いは二人ともいない。
ただ元は同じ国のものなので自然と人ところに集まるから、この市内にはきっといるだろうという話だった。
「兄にも彼女にも事情を話して、こちらの世界に来てもらいたいのですよ」
「あの。手伝いましょうか」
清香は自ら申し出た。兄弟や重要人物を探すのは大事だろうがあまり時間もかけられないだろう。
レイは驚いたように目を見開いたがやがてにっこり笑い「助かります」と答えてくれた。そのまま、そうそう、と思い出したように告げる。
「ゆっくり考えてほしいというのにはもう一つ理由があります。こちらでの一年は、向こうでのおよそ一日です。一年かけて悩んでいただいても、一日程度しか変わりません」
「そうなんだ……」
「いや、そういう意味じゃないと思うよ」
じゃあ時間はあるんだと納得しかけたが、睦実に否定される。レイは頷いた。
「睦実さんの仰る通りです。逆に言えば、向こうで一日過ごすだけでこちらでは一年経ちます。一か月過ごせば三十年。皆と永の別れとなります」
「……」
睦実はまた何か言いたげであった。
先ほどまでのことをぼんやり思い返していた清香は、ほとんど喋らなかったルウスのことがどうしてか気にかかっていた。
初めに覚えた違和感と、妙に口馴染みのある「約束」。薄い薄い違和感だが、レイと睦実の高学歴っぽいやり取りよりそちらの直感の方が清香の心に引っかかる。
睦実を玄関まで見送りに出ながら、そのことを口にした。父母はもう寝静まったようだ。
「ルウスさんさ。既視感があるんだよね」
「甲冑着てたからね」
「騎士感じゃないわ。親父ギャグじゃん」
「清香はさっきから俺をハゲにしたり親父にしたりホントどうしたいの?」
「は、ハゲは言いだしたのそっちじゃん!」
睦実は笑っている。清香は睦実の軽口と表情に安堵して深夜だというのに笑い声を立ててしまった。
何となくいつもの情景が戻ってきてほっとしたのもある。いきなり、おとぎ話のような、それこそ流行の小説のような出来事にぶつかってしまえば現実逃避するのも当然だ。
(……あ、やべ)
はあ、と息をついた途端、清香は宿題がまだ途中であったことを思い出した。今日は徹夜かもしれない。
空には星が瞬き三日月がかかっている。
巽家の小さな庭を門に向かって歩きながらレイは先に出ていたルウスに声をかけた。
「しかし睦実さんは鋭いですねえ、やはりここは兄のような詐欺師に僕もなるべきですかねえ」
「……」
「ルウス。そこは清香さんのようにつっこんでくれないと……。おや。何かありましたか」
「……いた」
「機械兵ですか」
ルウスの足元には、ばらばらになった金属片が転がっている。つなぎ合わせれば人の形になるらしいそれらは、ルウスもレイも嫌というほど見知った姿だった。
青国の機械兵。人の形を模した、それでいて並の人間よりは丈夫な敵兵だ。
「先ほどの音はそれでしたか。全くこんなところまでご苦労なことですね」
レイが足で小突けばカシャンと金属音がして、やがてぼろぼろ錆びるように朽ちていく。レイは小さな竜巻を作り出すとそれを風に載せて消し去った。
「レイ、塩の、……雨は」
「フェイ様がうまくやったはずだと、信じるしかありません。実際、空国からは撤退を始めている」
「……」
「ルウス。恐れることはありませんよ。セイカ様をお守りするのは誰です」
「私、だ。私が、セイカを、守る」
反射のように答えたルウスの様子に安堵したのかレイは息をつき、思案するように月を見上げる。
「まさか、空約束をかなえることになるなんて……」
レイは月に向かって小さくつぶやくとまた笑みを浮かべ、ルウスへ視線を戻す。
行きましょう、そうルウスに声をかけると巽家の門を出、いずこかに向かっていくようだった。
・・・
・・・・
・・・
せい